人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

Sさんはひとりが好きな自由人

夫が亡くなっても、何も変わらない

 昨日知人のSさん(ササモトさん)のことを書いたが、今日もその続きを書くことにする。Sさんの口癖は「私はひとりで自由がいいの」だが、夫が亡くなっても、どうやらそれは変わらないらしい。つまり、本人は口には出さないが、心の底から寂しいという気持ちは皆無のように私には感じられた。もっとも私は本当の意味でSさんのことをよく知らないし、Sさんの夫婦仲がどうだとかは知る由もない。夫婦共に卒のない常識人で、見かけたら挨拶をして、世間話をするような軽い関係だった。ご主人は普段から身体の中に石が貯まりやすい体質で、当時は手術を受けるために病院に検査入院していた。だが、不幸にもコロナに院内感染し、そのまま亡くなってしまった。ある日突然、病院から電話があって「ご主人は亡くなりました」と告げられたというのだから仰天する。

 ドラマでよくあるように病院から「ご主人が危篤です」と呼びだされて、最後の面会をすることもかなわず、夫との永遠の別れを経験した。さすがのSさんも当時のことを語るときは幾分か興奮気味になるのだった。夫が亡くなってひとり残されてしまったが、基本的に生きる姿勢は変わらない。「寂しくはないのですか」と尋ねると、「元々、以前から、あの人(Sさんの夫のこと)は生きていたくなかったから」だなんて衝撃的なことを言われてこちらはドキドキした。ええっ!?生きていたくないってどういうこと?と困惑し、返す言葉を探すが見つからない。

 そんな私の動揺を気にすることもなく、Sさんは「あの人は仕事をするのが辛くて、もう生きているのが嫌だったの。だからしようがないのよ」ときっぱり言った。続けて「夜中なんてねえ、寝言で何か叫んでいることもあった。そんなときはギョッとして何事かと飛び起きてしまったわ」とも話してくれた。要するに、Sさんの夫は仕事の人間関係で疲弊していて、ストレスに押しつぶされそうになっていた。毎朝、嫌々仕事に行っていたわけだが、私が見たご主人はいつも元気そうで穏やかな人でしかなかった。

 だから、Sさんから真実を聞かされて、俄かには信じられず、人間は外見では何ひとつわかったものではないと驚かされた。そうなのだ、人は誰でも本当の心を隠して生きているものなのだ。ご主人も生きていることに絶望していたのに、外では他人にそんな素振りは一切見せなかった。それどころか、私に「いつも元気で感じのいい人」だと思わせてくれた。今思うとなんだか切なくなってしまう。もう生きていたくない人と一緒に生活していたSさんの心模様はどんなだったのだろうか。ご主人の心の叫びを十分にわかっていたからこそ、亡くなった現実を肯定できるのかもしれない。どうせ生きていても辛いだけなのだから、それならいっそのこと、本人の希望通り亡くなってしまった方が幸せなのではという考え方も可能だ。

 生きていくための仕事って、どうしてそんなに辛いのだろうか。地球上に住む同じ人間なのにどうして分かり合えないのだろうか、などと不毛な考えを巡らしたら、時間を無駄にすることにもなりかねない。考えても考えても答えが出ない、人生における永遠の宿題と言えるだろう。「人間関係が劇的に変わる」などと言うキャッチフレーズのビジネスの啓発本を何万冊読んだところで、対応できるものではない。本に載っているタイプ別対処法は複雑な人間の心模様にはたいして役に立たず、無用の長物になりかねないのだ。

 現在のSさんは相変わらず自由を満喫しているが、常にスマホで友人や息子夫婦と繋がっている。ラインで繋がっているのは分かるとしても、息子やその嫁、子供たちともゲームで繋がっている、と聞かされた時は目が点になった。なんでも息子がスマホにゲームのアプリを入れてくれて、時々一緒に遊ぶと言うのだから面白い。それにしても母親のことをこんなにも構ってくれる息子も今どき珍しいではないか。詳しいことは分からないが、息子はSさんの家から少し離れた自分の住んでいる町に母親が引越してくることを切望しているらしい。その理由が自分のふたりの子供の面倒を見て欲しいからなのか、あるいは純粋に母親のことを気にかけているのかは定かではないが。現在においてはSさんの息子は絶滅危惧種と言っても過言ではないと思うが、どうだろうか。

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