人生は旅

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足を伸ばしてお風呂に入る

今週のお題「お風呂での過ごし方」

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▲延々と荒野が広がるボリビア高原。NHKまいにちスペイン語テキストから。

新しい家での一番の望みは、足を伸ばして入れるお風呂

 昨日の夜、台所で夕食の後片付けをしていたら、誰かが歌を歌っている声が聞こえてきました。どこから聞こえて来るのかすぐにはわからなかったのですが、その歌声はものすごくリズミカルで楽しそうでした。食器を洗う手を止めて、ふと窓の外を見ると、庭を挟んだ先にある隣の家のお風呂場の窓に明かりが灯っています。ノリに乗って熱唱している歌い手はどうやら入浴の真最中のようです。きっと、身体を洗いながら、髪の毛を洗いながら、悦に入っているのかと思ったら笑えてきました。あれは隣の家の息子さん?私にはわからない、聞いたこともない歌をまるでカラオケの時と同じように歌っている。外に聞こえても、ご近所中に聞こえても全く気にしないのが若さなのかもしれません。昼間の喧噪が消えた夜は比べ物にならないくらい、音が引き立つ、というか響きやすくて、耳を澄まさなくても自然と聞こえてしまうのに。

 そういえば、以前にも風呂場の歌手の歌を聞いたことがあります。その時はたまたまお客で来た若者がノリノリで歌っているのかと思っただけでした。そうなると、お風呂で熱唱するというのは日課ではなくて、あれは気分がいい時に自然と出てしまう行動なのかとも思えてきました。確かに風呂場だとエコーがかかって、自分の歌がパアッとうまくなったように錯覚してしまうんだ、そんなことを同僚も言っていました。つまりお風呂に入るとそれだけリラックスできて、気分転換できる至福の時だと言わんばかりなのです。

 お風呂と聞いて、真っ先に思いだしたのは親戚のある夫婦のことでした。彼らは長い間東京近郊の小都市に暮らしていたのですが、夫が定年になったのをきっかけにして故郷の町に戻ってきました。年を取ったせいかこれからは兄弟たちと仲良く暮らしたいという気持ちが強くなったのです。老後のために家を買うことにして、捜したら格安の物件が見つかりました。何と平屋で田舎とはいえ猫の額ほどの小さな庭付きの平屋の一軒家が1千万円でした。と言ってもそれにはある条件が付いていました。それは病気で亡くなった元家主の男性が飼っていた犬の面倒を見ることでした。彼ら夫婦は動物好きでも何でもない人たちでしたが、その条件を受け入れる事にしました。動物を飼った経験がない彼らは最初不安だらけでしたが、マルチーズのその犬は利口で手がかからない子でした。なんとペットシーツなど無くても、ちゃんと人間と同じようにトイレで用を足せるのでした。元の飼い主が完璧にしつけていたおかげでした。

 さて、格安の家を手に入れて夫婦は大満足だったのですが、妻の方にはどうしても譲れない要望がありました。それは、何をさておき、お風呂のことで「足を伸ばして入りたい」と熱望したのでした。普通はお風呂は足を伸ばしてなんて入れないわけですから。だから皆温泉の大浴場に行きたがります。子供だって広々とした大きなお風呂だと水を得た魚のように目がキラキラ輝いて喜びをあらわにします。それに今どきはシャワーで済ます人が多いのですが、彼女は「窮屈なのはもう嫌だから。リラックスしてゆっくり温まりたい」と願ったのでした。夫は長年連れ添った妻の切なる願いを叶えてあげました。たまに遊びに行くと、いつでも彼女は「ここの家で一番いいのはお風呂が広くて足を伸ばせるところ」なのだと自慢するのでした。普通の主婦のこだわりは台所で、使いやすい便利な場所をと願うのに、それがお風呂だなんてとてもユニークではありませんか。たぶん、お風呂に入ることは彼女にとって他の何よりも優先事項なのです。そして、毎日足を伸ばしてお風呂に入るときは至福の時間のようで笑顔が絶えません。

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