人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

SDGsは難しいと痛感

食品の大量廃棄を無くそうとは思ってはいるが

 最近私はあることがとても気になっている。それはスーパーに行って、食パンが置いてある棚を見ると、夕方なのにも関わらずギュウギュウに詰まっていること。ありえない、以前は売り切れて、空っぽになっているのが普通だったのに。ようく見ると、値引きのシールがどの食パンにも貼ってある。なるほど、賞味期限が当日かあるいは翌日だから安くなっているのだが、さっぱり売れていない。パスコの6枚入りの超熟という商品で、私はいつもそれを買っている。防腐剤などの”余計なものは何も入れていない”というキャッチフレーズに惹かれているからだ。さて、どうしたものか。まさか賞味期限が近いものを買うなんてことは、正直言ってしたくない。誰だって皆そう思っているから、売れ残っているのだろう。値引きがされて、いつもより安くなっているからお得!だなんて言う発想はあり得ない。

 それで恥ずかしながら、棚の一番奥の食パンの賞味期限を確認しようとした。見てみるとやはり同じだった。いつも買っている2~3日先の日付の物はなかった。もう家には食パンが無いのに、買いたいパンがない。だがこのまま帰るわけにもいかない。少し考えて、この際自分のこだわりを捨ててみることした。パスコの超熟でなくても、賞味期限に余裕があってまあまあ食べられるパンならそれでいいと妥協した。”この会社の社長は自分の会社のパンは食べない”だなんて噂される○○パンの6枚切り食パンを買って帰った。その時の私はあんな賞味期限が近い食パンを買わなくてよかった、後悔しなくて本当によかった、なんて思っていた。

 だが、後から考えてみると、今流行りのSDGs(持続可能な開発目標)というのは少しでも食品廃棄を減らすために努力することだ。私たち一人ひとりが自分事と考えて日々実践していかなければならないとあちこちで言われている。それなのに、頭ではわかっていても、いざとなると行動が伴わない。スーパーで買い物をするときは「なるべく商品は手前から取る」のが原則だと新聞の記事にも書いてあった。そうすれば、現在のような大量の食品廃棄は減らせるはずと納得する。果たして私の取るべき行動は、値引きシールが貼られている食パンを買って帰ることだったのか。そう考えると、少し罪悪感があるし、そもそもなぜあんなに売れ残っているのかが不思議でならない。数日後、先のスーパーとは反対の場所にある別の店に行ってみたら、またもや同じ光景に出会った。

 もし仕方なく売れ残りを買って帰ったとしたら、自分勝手な私は「なんかバカみたい!?」と思うに違いない。SDGsに少しは貢献できたとは夢にも思わないだろう。最近、新聞を読んでいたら面白い発見があった。それはある生命保険会社が募集していた「働くパパとママのための川柳」の中のある一句で、思わずそうだったのかと笑い転げた。きらりと光っているその句はたしか「食べ残し食べてSDGs貢献する」といったような、そんな川柳だった。確かに子供の食べ残しは捨てるにはもったいない、すべて大切なお金で買った物だからだ。食べ物を捨てることはお金を捨てることと同じだ。そうなると世の母親は私が食べなきゃとなるのが普通だ。たいしてお腹が空いてなくても頑張って食べる、その結果余分なお肉が身体につこうが構ってはいられない。

 もちろん以前はSDGsだなんて言葉は聞いたこともなかった。だが今の世の中では常識で誰もが知っている。この川柳の何が可笑しいかというと、知らず知らずにやっていたことが、ある日突然SDGsに貢献していたのだとわかって仰天することだ。察しが悪く、勘が働かない私は最初子供の食べ残しとSDGsがさっぱり結びつかなかった。すぐには笑うことができなかったのだが、いったんわかってしまえば「たしかに言えてる!」と感心した。ただ問題が一つあって、もったいないからとやみくもに平らげると体重増加を招くことだ。SDGsへの貢献と見栄えのいい体重維持との両立の道は険しいようだ。

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