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大秦帝国の白起将軍の戦略

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 母后の故郷の楚を攻めることに

 動画サービスで中国ドラマ「昭王~大秦帝国の夜明け」を見ています。このドラマの中で一番注目したい人物は秦の宝を言われた白起将軍です。大王であるエイショクが絶大な信頼を置く名将であり、彼が考え出す戦略も素晴らしいのです。天下統一を目指す大王が最初に矛先を向けようとしたのは、母后の故郷の楚でした。しかし楚を攻めるにしてもひとつ問題があったのです。楚の都のえいまで行くには険しい山々があり、食糧や武器の運搬が困難を極めたからです。必要なだけの物資が運べないので、軍は自給自足をするしかないのです。兵車が通れず、運ていも使えないからです。

 ではどう攻めるか、具体的にはどうするのか。思い悩んだ白起将軍は部下を伴って現地に偵察に出かけたのです。そこで見たのは、農夫が親子でつるべで川の水を汲み、山へ送っている姿でした。つるべではいくらも水を汲めないのにどうしてこんなことをするのか、と問い詰める将軍。でも農夫はこうでもしないと山では作物は育たないのだと主張するのです。

山の上にある楚の都を水攻めする

 農夫の姿にヒントを貰った将軍は、川の水を引き楚の都を水攻めすることを思いつくのです。部下に相談すると、水攻めというのは上流をせき止めるのが定石なので、それは無理だと言われてしまうのです。水は低い所に流れるのに、楚の都は高い山の上にあるのですから。「でも、あの農夫は山に水を送っていたではないか。だから不可能とは言い切れないのだ」と諦めませんでした。それで成都の水工令の技師に知恵を借りることにしたのです。

 険しい山々が連なる楚の地図を見ながら、技師は的確な説明を始めました。「山に脈あり、水は経に流れる」というでしょう。経脈さえ通じれば水流が発生し、脆い土壌は激流に呑まれます。地図をさして、ほら、この3か所に水路があり、ここまで水が引かれています。楚の都の城は東にあって、川は南に流れます。経脈が通じても水脈の向きは変えられません。そこで堰を作って水をせき止めます。すると自ずと水は東に流れるのです!

 「素晴らしい考えだ」と白起将軍は技師を褒め称えます。でも「堰を作るのには時間を要するのではないか」と率直な疑問を口にします。しかし、心配には及びませんでした。「軍に油はありますか?」つまり、山に火を点ければ岩石が崩れ落ち、自然の堰ができるはずです。すると山間に水の通り道ができるわけで、数本の水路から楚の都に水が流れ込むのです。ただし、流れが滞らないようにしないと、味方がおぼれてしまうので注意が必要です。

下流から高い山の上まで水が溢れて

 上流への水攻めを提言した技師が、白起将軍に訴えた不安には考えさせられます。自分たちは今まで人助けのために治水工事をしてきた。大王の覇業達成に貢献するのは当然のこと。しかし、このままでは民や兵が一瞬にして水底に沈んでしまう。我々は手柄どころか大罪人になってしまうのだと。その訴えを聞いた白起将軍は工事が始まる前に楚の民と兵に避難を促すことを約束するのです。ところが実際は、誰も水が山の上に流れてくるのを信じようとしないのです。馬鹿にするだけで、誰ひとり呼びかけに応じようとしなかったので、予想通り数10万の死者が出てしまう大惨事になりました。

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