人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

千早茜さんの『しろがねの葉』

 

読後感は、早く明るい場所に出たかった、が本音

 正直言って、こんなに早く、この本の順番が自分に回って来るとは思わなかった。いうまでもなく、図書館で借りる本のことなのだが、確か半年前までは予約数は百幾つで、気が遠くなった。冗談じゃない、こんないつになるかもわからないのに、”果報は寝て待て”と言わんばかりにサイトにある「予約する」のアイコンをクリックする気にはならなかった。この『しろがねの葉』で直木賞を受賞した千早さんの著書はたちまち脚光を浴びた。当時は近づくことはおろか、ましてやこの本が手元に来るだなんてことは夢にも思わなかった。だが、試しに今までの芥川賞直木賞の作品を検索してみると、ほとぼりが冷めた頃には誰も予約していなかった。なにぶん半年に一回の事なので、スポットライトが当たらなければ、残酷なことだが、忘れ去られるのが常らしい。その紛れもない事実については、『元カレへの遺言状』で一躍有名になった新川帆立さんも、作家の生存率は2%にも満たないのだと嘆いていた。

 千早さんの著書も例外ではなく、去年の12月に検索した時には、なんと予約数が24だった。信じられない、と同時に、もうひとりの自分が「今なら、読むチャンスはあるかも」とほくそ笑んだ。それなら予約しない手はない。このくらいなら、首を長くして待つ価値がある。覚悟したので、まだまだだと、知らんぷりをしていた。すると、図書館から連絡が来たのが、2月の初旬で、意外に早かった。嬉しい誤算だった。たまにサイトを見ると、予約数がどんどん減っていくので、「あれ?」と訝しく思った。

 図書館から帰ってすぐに、読みだすとページを捲る手が止まらなくなった。主人公ウメという少女に感情移入してしまい、物語の中に没入した。気づけば50ページ読んでいた。借りる時は中身を見ることなどしなかったが、この本は普通の単行本よりも字が小さめで、1ページに中身がぎゅっと詰まっている。できればこのままずうっと読んでいたいが、無粋ながら日常生活のあれこれをしなければならないので、後ろ髪を引かれながら、本を閉じた。

 冒頭から、この本に惹きつけられたのは、ウメの快活さ、賢さに惹きつけられ、必ずやこの子の未来は明るいものになるだろうと確信したからだ。光ある方に、明るい方にウメは歩んでいくはずだった。ウメがこの先、どんな女性になるのか、知りたくて堪らない、そんな好奇心が、膨大なページを捲ることを躊躇させなかった。もしかして、これはウメのサクセスストーリーなのか、だなんてことを期待していたわけではなかったはずだ。それでも、ウメだけは他の女性たちのようなある意味悲惨な運命をたどってほしくはなかった。そう願いながら、ウメを応援しながら、明るい面だけを見ようとしていた。

 だが、ウメが成長し、ある日初潮を迎えた頃から、私は気付かされた。冒頭から明るい方を見ていたはずだったのに、それは私のどうしようもない勘違いで、現実には奇跡など起こるはずもないことを。あんなにずば抜けた資質を持っているにも関わらず、ウメは女というだけで、身動きが取れなくなった。何をしたらいいかわからなくなって途方に暮れた。みなしごの自分を拾って、これまで養ってくれた男性の言葉をウメはようやく理解した、「お前が男だったら、どれだけよかっただろうに・・・」

 以来、読んでいる私も、この小説の舞台である、石見銀山の間歩(銀が採れる洞穴のことを人々はこう呼ぶ)の暗闇の中を彷徨っている感覚に陥った。読んでも、読んでも、何処までも闇が続いた。耐えられなくて、早く外に出たくて、ひたすらページを捲った。最初は確かに光あふれる場所にいたのに、ふと気づいたら辺りは闇に包まれていた。でも、もう遅い、いくらあがいても、途中でやめるわけにはいかない。やめたくても、放り出したくても、そんなことは私の好奇心が許すはずもない。しまった、気やすく読むんじゃなかったなどと思っても後の祭りだ。穴を出るには読了するしかないのだから。

 読み終わって、やっと闇から逃れられたのに、私の心は晴れない。しばらく闇の恐怖を引きずっていた。この小説をもう一度読むだなんてことは到底できそうもない。後にも先にもこれが一回きりだ。

mikonacolon