人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

小さい幸せを見つける

今週のお題「今月の目標」

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▲スペインのブルゴス大聖堂に増築されたコンデスタブレ祭室。NHKまいにちスペイン語テキストから。

変哲もない日常から小さな幸せを見つける

 私も含め誰もがもっと幸せになりたいと願うのは、今の幸せに気づいていないかもしれません。究極の幸せは命の危険に曝されることなく、食事をし、暖かい布団で眠れることです。それなら今すでに目の前にある生活で十分なのですが、人間はそれだけで満足できないのです。もっともっとを追い求めて、いつだって欲求不満に陥るのです。このままじゃ、自分で自分がいかに幸せな立場なのか感じないまま人生を終えてしまいそうです。なんかパアッとしないまま、退屈して一日を過ごすより、ほんの小さな幸せを発見して盛り上がったらどうだろうか。そのためにおかねはいらない、少しの行動力と好奇心があればいいのです。他人から見れば、「なんだそんなこと!」と呆れられることで十分なのです。一瞬でも自分の心にぱあッと小さな花が咲けばいいのですから。

 ある日の新聞の投書では14歳の中学生の女の子が「私の初恋は青虫です」と書いていたので仰天しました。私も子供の頃家の畑のキャベツは虫食いだらけでした。穴だらけの葉っぱには黄緑の青虫がいて身体をくねらせて食事中でした。でも気持ち悪いとしか思えず、ましてや「可愛い」だなんて想像したこともありませんでした。ある時キャベツを茹でて、ロールキャベツを作ろうとしたら、なんと青虫の死体が出てきてパニックになりました。それなのに、その女の子は青虫を一目見た途端、とてつもなく愛しいと感じてこの子たち?を育てたいと思ってしまいました。3匹の美しい緑色をした青虫を飼いたいと農家を営む両親に頼んだら、意外にも許してくれたそうです。現在の楽しみは可愛い子たち?が立派な蝶になって巣立つことです。

 そういえば、実家の兄のお嫁さんも庭の草花に水やりをしていたら、植木の葉っぱに虫が付いているのを見つけました。普通ならすぐに退治するところですが、彼女は意外な行動に出ました。その虫を葉っぱの陰に隠したのでした。どうして?と尋ねると「あの虫はきっと蝶になるから鳥から守ってあげたいの」。ふと見るとなんだか嬉しそうで子供の親のような気持ちになっていたんです。正直言って、虫が苦手な私は一瞬呆れて「それの何が面白いの?」と口に出しそうになったのですが、慌ててその言葉を飲み込みました。たとえその辺に居る虫一匹でさえも、不思議なことに人に小さな幸せを与えてくれるのです。

 一方の私はお盆に実家に帰ったとき、偶然家にやって来た捨て猫の子猫に小さな幸せを貰いました。その子は身体は白と黒のブチなのですがほぼ黒猫と言ってもいい子でした。そのチビが想定外の身体能力を発揮し、自分の背よりも高い場所にがむしゃらに登ろうと挑戦をするのです。こちらが見ていて、「それは無理でしょう?」と思ってしまう場所にも登ってしまいます。「やめておいた方がいいよ」とこちらがハラハラするところにも飛び降りてしまうのです。後先考えず行動してしまう子猫の一生懸命さに圧倒されてしまったのです。またトイレをすぐに覚えてしまう賢さにも脱帽するしかありません。最初はトイレに行くのには土間に降りるしかなかったはずなのに、いつの間にか学習して楽に行ける通り道を覚えてしまいました。子猫の賢さや生命力はもちろんなのですが、一番惹きつけられたのは子猫の生暖かい匂いでした。もう何年も嗅いだことがないなんだか安心できる匂いなので、いつまでも子猫を抱いていたくなりました。

 小さい幸せで思い出したのは、もう何年も前の朝日新聞の「折々のことば」です。その日共感した記事は切り抜いて取ってあるので、見ると日付は2017年の12月28日でした。「小さい幸せ見つけるのうまいな 加瀬健太郎の妻」。写真家が家族で温泉に行くのですが、倹約のため夕食を家族で取るのを諦めて、変哲もない中華屋さんに食べに行きます。その時出て来た焼きそばに思わず「火山が噴火したみたい!」と興奮し、「よかったなここにして!」と大喜び。きっと誰もがこんな風には感じられないはずです。普通の人なら「どこが!何が面白いんだ!」となってしまうかもしれませんが、この人は幸せを感じることができるのです。だから、「小さい幸せ見つけるのうまいなあ」と奥さんは夫を褒めるのです。「幸福は小さく、小刻みに」との筆者の言葉が胸に響きます。

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