人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

狭いマンションの部屋に大型犬が

空き室になって、初めて知ったこと

 それまでの私のマンションに対するイメージは、一見、狭そうに見えても、中に入ってみると、意外に広いというものだった。事実、友だちの何人かはそういう快適な空間に暮らしていた。だが、先日遭遇した光景は私の固定観念を覆した。そのマンションの部屋は一階にあり、大通りに面していて、舗道のすぐわきにあった。いつも朝の散歩に行くときに通りすぎるのだが、一階にある3つの部屋には当然ながら、中を覗かれないように白いカーテンが掛かっている。それが3部屋とも全く同じ物だったので、どうでもいいことだが、なぜだろうと言うような考えも一瞬頭を掠めた。

 ある日いつものようにそのマンションの前を通りすぎようとして、なぜだかわからないが、ベランダの方を見てしまった。そのベランダは3つある部屋のうちの真ん中の部屋のもので、よく見ると、カーテンの下の方の隙間から何かがこちらを凝視していた。最初はそれが何か良く分からなかったので、私はそれをじっと見てしまった。すぐにそれが何かわかった。それは犬で、それが普通の小型犬なら、別に何とも思わなかっただろう。「あら、犬がいるんだ」程度に思うだけのことだ。だが、それが、滅多に見かけない種類の犬で、プードルの大型犬のような、こういってはなんだが、ある意味羊のような体格の犬だった。その犬と私は少しの間見つめ合っていたが、犬の方がすぐに反応して、吠えた。

 犬に吠えられて初めて、自分が人の家を覗き見していることに気が付いた。これではまるで犯罪者で、飼い主が現れたら、一転、不審者だと思われてしまうではないか。そうなったら、スワ、大変と早々に立ち去った。そして、もう絶対に通りかかっても、ベランダの方は見ないようにしようと心に誓った。そんな体験をしたので、あの部屋はきっと、奥行きがあって広いに違いないというイメージが私の中で出来上がってしまった。部屋の間口は確かに狭いが、建物全体には奥行きがありそうだったから、勝手にそう思った。

 だが、先日それがとんでもない間違いだと言うことを知ってしまった。今度は覗き見ではなく、正々堂々とした、誰もがしている、ただ通りすぎるだけの罪のない観察だった。その日私はそのマンションの前を通り過ぎようとして、3つあるうちの真ん中の部屋がやたら明るいのに気づいてしまった。思わず、目をやると、窓を覆っていたカーテンがなく、部屋の中が丸見えだった。どうやら、犬とその飼い主は引っ越しをしたようだった。私は部屋の中を見て、ギョッとしてしまった。その狭さに愕然とし、自分が想像していたイメージがガラガラと音を立てて崩れ落ちていくのを感じた。その部屋でやたら目立っていたのは大きめの白いクローゼットで、その横に小さな扉があった。おそらく、その扉の向こうにはキッチンがあり、風呂場やトイレがあるのだろう。ただ、あんな大型犬が、あの狭苦しい空間で、毎日生活していたかと思うと、なんだかなあ、と複雑な気分になってしまう。

 勝手な想像だが、何も物が置かれていない状態でも、あの狭さなのだから。狭いと言うことで、思い出すのは、もう何年も前に、見学したワンルームマンションの一室だ。都心にあるそのマンションは知人が所有していて、先祖代々の古くて広い家をマンションに建て替えたのだ。大部分の部屋は売り払ってしまったが、最上階の自分たちが住むスペースと、ワンルームのひと部屋だけは残してあった。「もし、よかったら、見てみる?」と促されて、いずれは貸すつもりというそのワンルームの部屋を見せてもらった。そこは、生活に必要な機能がぎっしりと詰め込まれたような空間で、入ってすぐに閉そく感に襲われた。息苦しくて、そこに居るのが辛いと感じた。自分には到底無理だと思い知った。だが、その一方で、世の中には”住めば都”という格言もある。実際のところはどうなのだろう。

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