人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

狭くても工夫された間取りに感心

今週のお題「間取り」

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都心ならでは間取りの工夫とは

  東京に住んでいた頃、友だちと一緒にあるお宅に遊びに行ったことがあります。有名大学のある学生街に近く、大通りの路地を入ってしばらく歩くとその家はありました。その辺りは古い家が密集している住宅地のようでした。外から見たらどこにでもある何の変哲もない家でした。でもドアを開けて中に入ると、そこは台所だったのです。目の前には2階に行く階段もありました。普通のお宅にあるような玄関というものがなかったので、少し戸惑いました。どこかで見たことがあるようなアパートの一室を思い出してしまいました。靴を脱いで家にお邪魔すると、大きな丸いテーブルがあって、椅子が4つ置いてありました。どうも4人家族家族のようです。私たちはそのテーブルに座ってお茶を頂きました。座ってみると、部屋が狭いので余分なスペースがなくぎりぎりの状態でした。そのテーブルは食事の時はダイニングテーブルであり、お客さんが来た時は客間のおもてなしの場になるのです。家の主人は私たちが面食らっているのを気にする様子はありません。ここでどんな風に暮らしているのか興味があったので、2階の部屋も見せてもらいました。幼稚園ぐらいの子供が二人遊んでいて、2階は子供部屋になっているようでした。4畳半ぐらいの部屋で、見るからに狭いのですが、彼らはもう慣れっこになっているのです。3階は夫婦の部屋らしいのですが、見せてもらうのは遠慮しました。となると、屋上は当然物干し場なのではと想像できました。

 「こんなに狭くてもちゃんと生活はできるのだ」そう思えた初めての経験でした。土地が高い都会で家を持ち、狭い空間で快適な暮らしをするにはどうしたらいいのか、頭をひねって、工夫するしかありません。でもどんなに狭くても自分の家なのですから、「狭いながらも楽しい我が家」にするしかないのです。思えば、あの時訪問した家は、今テレビの番組で話題になっている、極めて狭い物件だったのです。あの家の持ち主がどうしてあそこに住むことになったのか。あの時はそんなどうでもいい事は考えもしなかったのですが、今更ながらその謎を知りたくなりました。

 「狭い」ことに驚いた経験は海外旅行でもありました。あれは以前パリに行ったときのことでした。飛行機でパリのシャルルドゴール空港に着いた私は、空港からバスに乗りパリのオペラ座で降りました。目と鼻の先にあるサン・ラザール駅近くにあるホテルを予約していたからです。そのホテルはヨーロッパのホテルチェーンの系列で、モスクワでも泊ったことがあったのでそこにしたのです。ところが、行ってみたら、パリの住宅事情の現実を突き付けられてしまったのです。バスを降りた私は、地図を見ながらホテルを捜そうとしたのですがうまく行きません。それで自力ではどうにもならないと諦めてタクシーを使ってようやくたどり着きました。ホテルでチェックインすると、係員が荷物を持ってくれて、部屋まで案内してくれます。

 エレベーターに乗って3階で降りて廊下を歩き出した時、何かがおかしいと感じました。それは廊下があまりにも狭すぎることです。「何なのだろう、この息苦しさは!」と叫び出したくなるような狭さ、廊下というより密室です。それでも前を行く係員は慣れているでしょう、気にならなようです。薄暗い上に、廊下のスペースは人がやっとひとり通り抜けられるくらいしかないのです。どこかに閉じ込められているような、壁が行く手を遮るような圧迫感を感じながら歩いていると、係員は壁にあったドアを開けて今度は狭い階段を上り始めたのです。不思議に思いながら後をついて行くと、やっと自分の部屋に行くことができました。案内された部屋は予想できる狭さでした、でも廊下は今まで見たこともない狭さ、それも恐怖さえ感じさせました。あれで何かあったら、例えば火災でもあったら、果たして逃げられるのか。そんな縁起でもない考えが頭の中を駆け巡りました。このホテルにこれから2泊もしなければならないのかと暗澹たる気持ちになったのです。

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