人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

朝日新聞の投稿欄「ひととき」

最近はたわいもない話題が多い、でもあの日は

 毎日、朝日新聞の投稿欄「ひととき」を楽しみにしている。ここに寄せられる話は毎日の何でもない出来事が愛おしい、とか家族や孫との幸せな時間を書き綴ったものが多い。それでも以前は、「ええ~!?そんなことが・・・」とか「そんな幸せもあったのですね」などと思ってもみなかった気づきを貰っていた。それなのに、最近はこんなことを言うと怒られそうだが、たわいもない、どうでもいい話が多かった。なので、なんだか物足りないと感じていた。

 そんなときに、御歳が何歳だか忘れてしまったが、とにかく80歳を過ぎた高齢の女性からの投稿に仰天した。その方は気儘な一人暮らしなのだが、自分の年齢を自覚してか日頃から対策をしていた。何かあったときのために自分の家の鍵はちゃんと隣の家に預けていた。それに隣近所との付き合いは良好だったので、いつも誰かしら尋ねて来ていた。さて、その人は土曜の夜遅く11時にお風呂に入った。ところが、湯船に浸かって、立ち上がろうとしたら、どうしたことか動けなくなってしまった。おそらく腰がどうかしてしまったのか。焦った、焦りまくったがどうにもならない。風呂場では助けを呼ぶ手立てが何もない。これこそ、本物の緊急事態で「ひととき」だなんてことは言ってられない。

 もし私がその人の立場なら、思いっきり泣きわめきたい気持ちになるだろう。だがその人は冷静だった。そして、こう思った、「明日になれば、誰かが家にやってきて、自分を発見してくれるだろう」と。待つしかない。それから先は意識がなくなって、何も覚えていない。隣の人が様子が変だと家に見に来てくれたのは、なんと火曜日で3日目だった。その間、その人は湯船に浸かったままで、発見されたときは脱水状態だった。それでも幸運なことに1カ月ほど入院したら、家に戻って来られた。この投稿を読んでいるこちらがぞおっとするような体験をされたのに、当人の文章はまるで他人事ようにそっけない。辛かった、苦しかった、悲しかったが無くて、さらりとしている分、読み手としては大いに衝撃を受けてしまった。文章の最後を周りの人への感謝で締めくくっているのもその人らしい。気骨があるというか、肝が据わっている人だ。おそらく、いざとなったら運命を受け入れる覚悟はできているのだろう。

 私の兄嫁のミチコさんも一人暮らしだが、いつも元気な人なのにある時玄関で転んでしまった。原因は飼っている猫が廊下に続くとおり道にデ~ンと居座っていたので、猫をよけようとして失敗したからだ。ミチコさんは滑って転んで玄関の下に落ちて、足首をケガした。幸運な女神でもついているのか、あるいはこれまで積んだ徳のせいなのか、大事には至らなかった。でも、ミチコさんは、もしかしたら誰にも発見されずにそのまま死んでしまう可能性もあるかもと怖いことを言う。

 次に印象に残っているのは「アスパラ食べ放題」を満喫している人の投稿だ。その人も高齢者で自分の畑でアスパラガスを作っていて、そろそろ食べごろになってきた。それで、最近では毎日アスパラ三昧のアスパラ祭りを開催し、おひたしや天ぷらと好きなだけアスパラを楽しんでいる。食べても食べても畑にはまだまだアスパラはあるので、嬉しい悲鳴をあげながらアスパラを食べている。すごく羨ましい話だが、自分で作れないと無理なので、そうは本気にはなれない。

 アスパラと言えば、スーパーに売っている2~3本束になっている物しか想像できない。細くて柔らかそうなのを選んで買って帰り、すぐに茹でて、醤油をかけて食べると美味だ。あのアスパラが目の前にごっそりと生えている場面など到底想像することもできない。正直な感想は、アスパラって自分で作れるものだったのかと驚いた。思えば、それくらいアスパラとは縁がない生活をしている。

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