人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

消費者を馬鹿にするな!と叫びたい

今週のお題「叫びたい!」

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▲インカ時代から残る古い石畳や段々畑の石垣が、今も利用されている「太陽の島」。NHKまいにちスペイン語テキストから。

諦めてはいるものの、変化について行けなくて

 昨日、台所でご飯の支度をしていたら、隣の部屋にあるテレビから食品の値上げのニュースが聞こえてきました。そう言えば新聞にも書いてありました、冷凍食品や小麦粉、ポテトチップス、コーヒー、牛丼と盛りだくさんです。牛丼はすでにもう値上がりしていますが、他の物は来年以降だそうで、どうしても気が重くなってしまいます。原材料の価格に加えて、原油高で物流などのコストが上がっているのが原因です。

 一番気になるのが小麦粉で、それこそありとあらゆる食品に影響が出るのは必至です。例えば、おやつに食べるクッキー、今でも昔から比べるとかなり痩せて小降りになりました。価格は以前のままですが、悲しいほどに小っちゃくて、最近では買う気が失せてしまいました。私としては、もちろん値上げは嫌ですが、どうせならある程度のサイズは維持して欲しいと思うのです。私が好きだったのは森永のチョイスとムーンライトで、以前はよく買っていました。でもサイズが小さくなった頃から、なんだか美味しいと思えなくなりました。それでスーパーで見かけても素通りするだけで、買おうという意欲は露ほども湧いてこないのです。

 それから最近つくづく感じるのは、お土産のミニ化です。つまり旅先のキオスクや土産物店で売られているお土産がどれも昔よりサイズが小さくなっているのです。コロナ禍で人々が駅を利用しなくなっているからなのか、昔のように大きなサイズのものが売れなくなっているからなのか、とにかく従来の商品の半分ほどのサイズです。まあ、別に小さくなってもいっこうに構わないのですが、納得いかないのが価格です。この間叔母のお通夜に行くために実家に帰ったとき、お土産をキオスクで見ていて仰天しました家人の大好きなどら焼きが小さな箱に4個入って、なんと800円だったのです。一昔前なら、500程度で買えるものがこんなに立派な値段になってしまったとは、嘆かわしい限りです。

 普通なら、あれもこれもと買いたくなるのが人情ですが、ついつい頭の中で計算をしてしまうので、ブレーキが掛かってしまいます。楽しいはずのお土産選びがちっとも楽しくなくて、さっさと済ませて早く帰ろうとなります。気持ちが沈んでいるのは私だけかと思って周りを見てみると、店の入口に置いてあるカゴを持っている人はいません。皆小さな箱なら、片手で十分なようで、持っているのは一つかふたつのいずれかでした。つまらない時代になってしまったなあ、と思いつつ、考え方を変えなきゃと自分に言い聞かせました。

 小麦粉と言うと、どうしてもスーパーの惣菜のことを思いだしてしまいます。たしか新聞にスーパーの業務用の餃子も値上げされる予定だと言う記事が載っていました。私もたまに食事の支度をサボりたいときに利用していましたが、最近は買わなくなりました。なぜかと言うと、餃子の餡が脂だらけで気持ち悪く感じてしまったからです。それまでは「美味しい」と感じていたのに、ある日突然「いつもと違う!」と異変を察知したのです。明らかに原材料の質を落としているのです。それでも消費者は変わらず買ってくれるものだと信じているのでしょうか。

 時間がなくて惣菜を家で作れない時、重宝するのがスーパーの魚のフライでした。でも今ではそんなときはマグロの切り落としを買うようになりました。なぜなら、白身魚白身ではなくて、なんだか黒い点々がいっぱいついている得体のしれないものに思えてきたからです。つまりフライに使う魚の質を落としているのです。食べて見ると、サクサクしているどころか、ネチャネチャした触感がして途中でやめました。以前スーパーでアルバイトしたことがある知人が教えてくれました、総菜は店で作っているわけではないと。スーパーに並んでいるのはほとんど出来上がっている冷凍食品で、それを油で揚げたり、オーブンで焼いているだけなのです。手作り惣菜と書いてあっても、実態はそんなものなのだと知って目から鱗でした。そんな事実を知ってしまった今ではもう慣れっこになって、まあ、そんなものなのかと諦めているのですが・・・。

 

mikonacolon