人生は旅

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間取りは時代と共に変わって

今週のお題「間取り」

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 実家の間取りを考えてみたら

 私の実家は田舎にある古い家なので、今ではもう死語となっている「縁側」や「床の間」があります。でもそれらは現在ではその本来の役目をはたしてはいません。時代と共に忘れられ、ただの物置となってしまいました。縁側は外の喧噪を消してくれるクッションのようなもので、明り取りのために障子戸で仕切られていました。2畳ほどの縁側があったおかげで、田舎の何でも知りたがる人達からプライバシーが守られていたのです。当時は父が夕方になるといつも雨戸を閉めていたせいで、邪魔になるので何も置かれてはいませんでした。でも父が亡くなると、もう誰も面倒なので雨戸を閉めなくなりました。いつしか障子戸はガラスに変わったので、以前よりは部屋が暗くなった気がします。

 床の間も本来は掛け軸を飾り、花を活けてある花器を置く場所でした。掛け軸は季節ごとに取り換えて楽しんでいましたし、どこの家でもそれが普通でした。また姉の結納の時には、金子銀子の紐で作られた亀と鶴がのった台が置かれていました。その美しい紙細工の真ん中のあったのは姉の婚約指輪で、紫色に光ったアメジストが今も忘れられません。床の間の隣には先祖代々から受け継がれた仏壇がありました。さすがに今でも仏壇は大事にされているのですが、時代の流れなのか、床の間はもう忘れられた空間になりました。そこはもう物置でしかなくなって、正直言って私などはずうっとその存在を忘れていたほどです。残念なことに、現在では不要不急の場所になり果ててしまったのです。効率重視の観点から、あるいは都心の住宅事情から考えてみると、無駄で必要ない空間とも言えるのです。

 去年の年末年始に実家に行った時のことです。玄関を入って手洗いをするのに、わざわざ風呂場にある洗面所まで行っていました。普通なら忘れそうになるのですが、今ではもう習慣になっているので身体が自然と動くのです。でもふと考えたら、玄関を入ってすぐのところにトイレがあるので、手洗い場があったはずです。でも、いつからかはわかりませんが長い間使われてはいないのです。その場所はまたもや物置となっていました。確かに家ができたときは使っていたはずなのですが、そのうちに「無くてもいいや」と不便を感じなくなったのです。家人の話では、今ではそこに棚を置いて使っており、その方が便利でいいと言うのです。つまり、最初に良かれと思って考えた間取りも、使ってみたら思わぬ盲点が見えてくるものなのです。

 間取りで思い出したのは、変な間取りで、それもアパートの玄関先の空間の使い方に違和感がありました。当時友達は結婚したばかりで3階建ての建物の2階に住んでいました。そこは1階に大家さんが住んでおり、何かと気を遣う環境のようでした。だからか、彼女が会いたがっていた仔犬のジョンを連れて行くことはできませんでした。あの日、地下鉄の駅まで友達が迎えに来てくれて、住んでいるアバートの前までやってきました。ふと見ると、その玄関はどこかのマンションと似たような作りでした。各部屋に繋がっているモニターがあり、セキュリティがしっかりしているようです。カードをかざすとドアが開いて、中に入ると、なぜかテーブルとソファがありました。

 普通なら、この先は当然エレベーターがお決まりなのですが、そうならずに、友達夫婦は階段を昇り始めました。「ええ~?どうなってるの」とあっけに取られていると、友だちもクスリと笑いました。暗くて狭い階段を昇りきると、部屋に着きましたが、ドアを開いたら真っ暗でした。玄関だから仕方ないかと思っていたら、次に見たリビングも窓がなくて暗い感じでした。他にもう一つ部屋があって、そちらはベランダがあるので、少しは日が差すはずでした。でも人には見られたくないのか、扉は閉まったままでした。正直な感想は「この部屋にはとても住む気にはなれない」で、おまけに、あの見栄を張っただけの玄関には呆れてしまいました。そのせいか、友だちもすぐに別のマンションに引っ越してしまったのです。

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