人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

店内改装で余計に足が遠のく

久しぶりにスーパーに行ったら、店内が一変していた

 家から歩いて20分ほどの場所にそのスーパーはある。店内は1階と2階に分かれていて、1階は食料品一般で、2階は雑貨と衣料品を置いていた。実を言うと、そのスーパーには用事があるときしか行っていなかった。その用事とは衣料品を買う時で、下着とか、パジャマとか、あるいはバスタオル、フェイスタオル等の生活必需品を買っていた。先日久しぶりに、必要に迫られて、そこの店に行くことになった。なにぶん最寄り駅と反対方向にあるし、図書館へ行く道とも違うので、1年ぶりぐらいになる。今まで使っていたバスタオルがゴワゴワになり、身体を拭こうとすると、肌に当たってチクチクした。それで思い切って買い替えようと久しぶりにその店を訪ねたのだ。

 店の前まで来ると、あれぇ~なんだか様子が違う、確か店頭には色とりどりの草花、ちょうど今ごろならシャクヤクとかパンジーの鉢植え、あるいは早々と紫陽花などが並んでいたはずだ。それにメダカのミニ水槽やカブトムシが入っているプラスチックのケースまで置かれていて、眺めているだけでも楽しかった。賑やかに人の目を引くそれらがある脇には「ご自由にお持ちください」と書かれた張り紙があり、そのすぐ下には段ボールが入っているラックが置かれていた。何を隠そう、私は田舎に荷物を送る度にこのサービスをちゃっかり利用していて、大変お世話になっていた。

 なのでその日もすべてがそのままあるのだとばかり思っていたが、現実は違った。店頭にあったのは灰色のコンクリートのみで殺風景としか言いようがない景色。今までさっぱり来なかった自分をさておき、なんだか寂しさがこみあげてきた。変わらないものなんてこの世にはないのかなあと、内心思って、店の中に足を踏み入れた。すると、なんだか店内も何か変なのだ。何が変なのかと言うと、皆がエスカレーターや階段で2階に行こうとしたり、あるいは降りてくることだ。以前は2階に行くお客さんはたいしていなかったからだ。不思議に思って、階段を上り、2階に行って初めて何が起きているかがわかった。要するに私が知らないうちにこの店は店内改装をしていて、今まで日用品や衣料品があった場所は食料品に取って代わられていた。では居場所を奪われたそれらは一体どうなったかと言うと、一番奥の片隅に追いやられ、売り場のスペースもほんの猫の額程度しかなく、明らかに風前の灯火だった。

 一番驚いたのは、あるはずもない『質屋』の看板があり、「ブランドバッグ、貴金属、何でも買い取ります」と書かれた暖簾がかかっていたことだ。なるほど、今までの衣料品のスペースは質屋に貸し出され、この思い切った方向転換もこの店の経営戦略のひとつなのだろう。1階に行って見てわかったのだが、この店はどこかのスーパーと同様に、1階は生鮮食料品、2階はその他の菓子類や麺類、乾物などというように売り場を広げたようなのだ。だが、正直言って、かえって買い物がしにくくなった気がする。以前はワンフロア―に食料品がぎゅうっと詰まっているような感覚だったが、それでも一回りすれば、用が済んだので、買いやすかった記憶がある。それなのに、なぜたいして行かなかったかと言うと、何のことはない好みの問題だった。そこの店にしかなくて、どうしても欲しいものがなかっただけのことで、たいてい近所のスーパーで済んでしまうからだった。

 そんな自分の都合だけでその店に行く必要がなくて時が過ぎてしまったが、いざバスタオルを買おうとしたら、そうは問屋が卸さなかっただけのことだ。まあ、仕方がない。自業自得なので、都心にある大型スーパーにでも行くとするか。どうせいつでも行ける、その店はあそこにあるのだから、と高をくくっていたら、予期せぬ事実を突き付けられて困惑した。その店は私が住んでいる地域では某有名チェーンのスーパーだが、最近コンビニ大手の傘下に入ったとの記事を新聞で見たばかりだった。今の世の中にあっては”変わらないものなどない”のだと考えさせられた出来事だった。

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