人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

暑さを乗り切るために

 

この夏をどう乗り切るか、それが問題

 市営住宅に引越した知人は、快適な住み心地にとても満足していた。越してきたばかりの3月は外が寒いにも関わらず、部屋の中は暖房器具がいらないくらい暖かかった。「もしかしたら、ここはエアコンが要らないかも」と喜んでいた。ついこの間まで、「最高気温が28度で暑い一日になると朝の情報番組で言っていたけれど、全然大丈夫そう!?」と余裕だった。しかし、6月の下旬になると、予想もしない暑さに襲われてしまった。さすがに気温が30度を越したら、いくら換気システムが機能していてもエアコンをつけないで過ごすことはできそうにもない。だが、いくら何でも暑いからと言って、エアコンにばかり頼りすぎるのも問題だ。それに友人はエアコンの風が苦手で、すぐに身体が冷え切って、震えてしまうのだ。

 引っ越してきたとき、同じ階の人たちの部屋を見たら、どこも網戸が付いていなかった。それでてっきり8階だから風通しがいいのだとばかり思っていた。実際、北側にある玄関のドアを開けるとびっくりするぐらいの強風が吹き抜けた。もしかしたら網戸が必要ないのではという希望的観測をしていたが、現在のような突然の熱射地獄を前にしたら、一瞬にしてそんな考えは吹き飛んだ。到底網戸なしで過ごすことなんて無理だった。周りをようく観察してみると、みな玄関のドアを少し開けている。つまりベランダのある南側から入る風が通るようにしているらしい。

 本当なら毎年夏はどう過ごしているのか聞いてみたいのだが、そんなに親しくもないのでそれもできない。知人が住んでいる建物は間取りが2DKか1Kで、ほとんど単身世帯だ。夜になっても人の気配が感じられないほど静かで、これまで夫婦喧嘩や親子のいざこざを嫌と言うほど見てきた知人夫婦にとっては、都会の片隅にある姥捨て山のようなところだ。住人は高齢者がほとんどで、彼らのような60代はまだ若い方だった。知人は最初隣人たちと仲良くなろうと努めた。だが既述したように、水道の元栓がわからず助けを求めたのにも関わらずインターホンを鳴らしても誰も応答しなかった。後で聞いたところによると、わざと出ない人も居るにはいるとか。知らない人と関わりたくないらしい。そういう人は玄関の表札も1階にあるポストの表札も出していないので、未だに苗字がわからずじまいだ。月に一度、回覧板も回ってきて、確認のためにハンコかサインをする欄があるのだが、ただのM.Kのサインでは何さんなのかわかるわけがない。

 それでもなんとか知り合いを作りたいと思っても、「私の仕事は曜日も時間も不規則なのです。土日も関係ないんですよ」などと言われると取りつく島がない。つまり、彼らはいつ在宅なのかは決まっていないのだ。だが、その人たちとやっとのことで会えて、挨拶をした時は「なんだかとても感じがいい」と思えたのでなおさら残念に思えてくる。それも何回か尋ねて言った挙句の果てに、もう諦めかけたその時に実現したのだ。正直言って、未だに手紙でしか交流していない住人もいて、その人とはもう永遠に会えない気がする。こんな体たらくなので、何かあっても誰一人頼ることはできない、なんとも情けない状況なのだ。何か命にかかわるような事態になったときは、迷わずインターホンの非常ボタンを押し続けるしかないようだ。

 団地に引越して、面倒な人付き合いに悩まされると覚悟したら、あまりの没交渉に知人は面食らってしまった。網戸のことを気軽に聞ける人も居ないので、いや、ひとりだけ居るにはいるのだが、なんだか迷惑がられているようなのだ。その人は同じ階の誰ひとり応答しなかった時に助けてくれた7階の住人で創価学会に入っている。親切な人に見えるのだが、「夫が定年になって、給料が半分になったので、申し込んだら当たって・・・」などと軽率なことを言ってしまったからいけないのかもしれない。インターネットの工事にしても、「うちはそういうお金のかかることは最初から考えていなかった」と言われてしまって、話にならなかった。

 だから頼れるものは何と言ってもネットの情報だった。近隣にある山川硝子店を見つけて電話をかけた。団地の網戸は普通の家庭のと規格が違うらしい。すぐに見に来て貰ったら、南側と北側の2枚で2万5千円で、消費税を入れて2万7千5百円だった。網戸を取り付けた部屋で寝たら、吹き抜ける風が気持ちよかった。だが何と言ってもまだ6月だ。この先どういう事態が待ち構えているか考えただけで恐ろしい。日経に載っていたグローバルウオッチの記事に「スペインのマドリッドは連日43度の暑さ」だと書いてあったので仰天した。

mikonacolon