人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

懐かしい里芋とカレーコロッケ

今週のお題「いも」

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 里芋を美味しく料理できなくて

 今の季節はスーパーに行くと、入ってすぐのところに里芋コーナーができていました。旬のものなので見るからに美味しそうです。「豚汁や煮物にしたら美味しいですよ」とのキャッチコピーも書いてあります。「買ってください」と誘惑されるのですが、こちらとしては足早にその場を去るしかありません。なぜかと言うと、私ごときの料理の腕前では、「里芋が可哀そうすぎる」と思ってしまうからです。つまりどうしてもうまく作れない、柔らかくはなっても、あのとろけるような食感が出せないからなのです。本来里芋はあのトロトロ感がたまらないのに、それが引き出せなくては他のイモと変わりがありません。

昔の人達はどんな魔法を使ったのか

 料理本を見てもダメです、あれは必要な最低限度のことしか書いていないからです。料理のコツは何度も実際に何度も自分でやってみなければ知ることができないからです。それでもわからなければ、最後の手段は達人に教えを乞うしかないのです。そうはいっても、残念ながらもう聞けないのです。私にとっての達人はおばあちゃんで里芋の煮っころがしは最高でした。

 田舎にいたときに食べた煮物はどうしてあんなに美味しく感じられたのか。当時は葬式があると隣近所で助け合って食事の用意をしたものです。当番の人の家に行けば炊き込みご飯と煮しめが食べられました。煮しめには大根、ちくわ、里芋、ニンジンとこんにゃくが入っていて、美味しくて大満足でした。スーパーにある物とは大違いで、飽きの来ない味なのです。昔の人達はいったいどんな魔法を使って料理を作っていたのか、当時は当たり前に思っていましたが、今となっては謎だらけです。

 そう思っているのは、私だけではないようで、イラストレーターの宇野亜喜良さんの元奥さんのデザイナーの方もエッセイに書いていました。同じ煮物なのに私が作るのと祖母が作るのでは味が全く違う。信じられないことにはるかに私のよりも美味しいのだ。これはいったいどうしてなのか、祖母の味には脱帽するしかないと。

懐かしいカレーコロッケは「バクダン」

 「いも」と言えば、もう一つの懐かしいイモはじゃがいもの「カレーコロッケ」です。どうして、普通の塩と胡椒の味付けではなくてカレー味なのかはそれなりの訳があるのです。高校生の頃、家に兄のお嫁さんがやってきて、家族が増えました。私の母はすでに病気で亡くなっていたので、まさにお手伝いさんが来たようなものでした。「お手伝いさんでしょう」とはっきり言ってしまったら、「そう言わないで」と不機嫌な顔をされました。当たり前です、生意気盛りの高校生の女の子が言うことですから。ほぼ事実ですが、ボランティアでお嫁に来たなんてキツイことを言うなんて、我ながらなんて「失礼な奴」なのでしょう。

 そのお嫁さんが夕食にコロッケを作ってくれました。ごく普通の俵型のじゃがいもコロッケです。一口食べてみたのですが美味しくないのでやめました。すると「どうして食べないの?」と聞かれたので、思わず「美味しくないから」と言ってしまいました。もう少し言い方というか、思いやりのある言葉をかけてもよさそうですが、わがままに育てられた娘は容赦ないのです。しかし、私の言葉が火をつけたのか、当のお嫁さんはコロッケを美味しく作ることに取り組み始めたのです。何度か作っては見たものの、義妹はどうしても美味しいと言ってくれない。それならいっそカレー味にしてみようと試してみたら、やっと食べてくれたというわけです。それで、お嫁さんの作るコロッケはカレー味に決まったのです。でもどういうわけか、やたらと大きい、大きすぎる。だからまるで「バクダン」みたいだねとまたも失言してしまったのです。

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