人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

Tシャツを求めて

今ではもうどこにもない

 最近やたらと、汗をかくことが多くなった。外に出かける度に、帰って来ると着替えをする。一日に何枚もTシャツを着替えなければならないが、ある意味、着替えは気分転換のようなもので、気持ちがいい。特に素肌に綿100%のTシャツを身に着ける時は爽快感でいっぱいになる。洗濯の時に数えてみたら、まだ真夏でもないのに、一日に4枚も洗っていた。となると、これから季節が進めば、さらに枚数が必要になるだろう。

 今着ているTシャツをよく見てみると、生地が薄くなったり、袖のちょうど脇の下に当たる部分が、わずかに黒くなっていて気持ちが悪い。そう言えば、もう長い間愛用して、手持ちのTシャツは消耗していたのだ。そうだ、今が、今こそ新しいTシャツに取り換えるべきなのだ。そうは言っても、私の心は晴れない。なぜなら、いつものスーパーから、お目当てのTシャツは消えてしまったからだ。なぜ消えたのか、それはあまり売れないからで、でも、私はあのTシャツが大好きだったのだが、それって私だけだったらしい。食料品を買うついでに衣料品を買えるのは一石二鳥で、わざわざ他の場所に行かなくて済むので大助かりだった。

 考えてみると、今の世の中はネットで何でも買える時代だから、皆ネットで安く、と言っても、実際はそう安くはないのだが、衣料品を買うのもまたネットで済ます時代なのだろうか。画面で見ただけでは、見た目で判断するしかなくて、手触りも何もわからない。きっと大丈夫だろうという希望的観測に従うしかない。一が八か運を天に任せてみるしかないのが現実なので、昔通信販売全盛だった時に返品ばかりする憂き目に遭っていた私は衣料品をネットで買おうとは思わない。

 自分の目で確かめて大丈夫と判断したら買いたい私は、何とか別の店舗にないものかと探し回った。昨日、家から歩いて最寄りの駅まで15分と電車で15分の隣町にあるスーパーに行ってきた。そこの地区は昔から花街で有名な場所で、今でもやたらと人が集まることに驚きを隠せない。すでに以前の華やかさは身を潜め、坂道にぎっしりと店が連なってはいるが、馴染みのある私にはたいして新鮮には映らない。その一角にスーパーはあって、今でも人がひっきりなしに出たり入ったりして昔と変わらずに繁盛していた。何も特に物が安いからとか言ったメリットがあるわけでもなく、むしろその反対で、品物の品質にこだわっているのが特徴とも言える店だった。

 このスーパーの売り場は一階と二階で、一階は生鮮食料品で、二階が日用品と衣料品だった。Tシャツを探していた私は二階に行って唖然とした。行く前からある程度は予想はしていたが、衣料品の売り場がこれでもかというくらい、縮小していたからだ。私の想像範囲を遥かに超えていた現実に打ちのめされた。僅かに残されていたスペースに置かれていたのはまるで閉店セールのような残り物の寄せ集めだった。かと言って、値引きもされておらず、堂々と正規の値段で売られていた。男性用下着、フェイスタオル、女性用靴下と下着、パジャマ等が、必要最低限の量で置いてあって、「もし必要な物があれば、ついでにお買い求めください」と暗に言われているようなものだった。

 この時初めて私はすべてを理解した。要するに、私なんかは別して、誰も食料品のついでに衣料品を買い求めようとはしないのだということを。もう昔のような需要はないのだということを。この店の実態を見ればそれは明かだ。誰も欲しないのだから、そんな商品は、ここでは衣料品は無用の長物で、少しだけでも置いて有ればいいのだ。それは数少ない「あったらいいなあ」とか、あるいは「ここにあってよかった。助かった」と思うお客さんのためのものなのだ。

 それはさておき、肝心のTシャツをどうしようか、どこで買おうかと途方に暮れる。とりあえずはTシャツ問題を何とかしなければ、これから来る猛暑の夏をやり過ごせないだろう。

mikonacolon