人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

おおかみこどもの雨と雪

それぞれの道を見つけた姉と弟

 このところ私は図書館に通い詰めている。公立図書館サイトを何度も検索し、新聞広告に載っていた新刊がないかどうかを探す日々が続いている。不安なのである、と言っても別にこれと言って差し迫った何かがあるわけでもないが、とにかく不安材料には事欠かないのが今の世の中だ。だから、せめて何かに熱中していたい。そうやって不安から目をそらし、今をやり過ごしたい、とそう思っているからこそ、本を読みたいのだろう。何か面白そうな話題はないかといつもアンテナを張って、見逃さないように見張っている。自分がよさそうだと思っている本をサイトで見つけた時はまさに至福の瞬間で、自分はなんて幸せ者なんだと感激し、気分が最高潮になる。それもひとつの幸せの形だ。

 さて、先日も借りていた本を返しに行ったついでに、何気なしにビデオの棚を見ていた。すると、この『おおかみこどもの雨と雪』を発見した。そう言えば、このタイトルは何年も前に夕刊の映画時評で見かけたことがあるが、その内容は全く覚えていない。要するに、その頃の私はこんなありえない設定の話にはあまり興味がなかったらしい。だいたいが「おおかみこども」だなんて、奇想天外すぎて、なんだか先行きが危ぶまれて、見る気にもなれなかったのだと推測できる。なのに、先日は違った。面白そうだから、見てみようと好奇心全開で、ワクワクしていた。

 狼の末裔で正体を隠しながら、ひっそりと生きる彼と、大学生の花は出会った。その出会いからして、運命的なのだが、もしも花が彼に何の関心も持たず、声をかけなかったら、この物語は始まってはいない。「ちょっと、あの人何なのだろう」とふと思うことはあっても、普通は思うだけで終わりで、何ごとも起りはしない。たいていは人と人とは繋がらないで、時だけが過ぎていく。知らない人に声をかけてコミュニケーションを取ろうとすることは勇気がいることだ。その点において、おおかみこどもの雨と雪の母である花は勇敢な人と言える。もっともそれは勇気のいることではなく、偶然といういう運命に導かれた必然であったかもしれない。声をかけたかったから、気が付いたらそうしていたという自然な行為だったかもしれない。

 ビデオを見ていて、最初に気が付いたのは花の声がやたら可愛いことで、あら、この声優さん誰だろうと思った。それに狼男である彼の声も狼にしては、誠実で優しすぎる声だった。さっそくDVDの裏に書かれている声の主を探したら、花役は宮崎あおいさんで、彼役は大沢たかおさんだったので、そうだったの!と少しびっくりした。狼男である彼は運送会社で働き、団地に引越しの荷物を運ぶのが仕事だった。「部屋の作りは同じでも、それぞれみな違う生活をしているんだ」と花に話してくれたりして、二人の生活は何の問題もないかのように見えた。

 ところが、彼は狼の狩猟本能が忘れられず、ときどき狩りをすることがあった。妊娠した花の身体を気遣って滋養のある物を食べさせようと、自ら取った鳥をお土産にして帰宅した。ある日川に狼の死体が浮かんでいた。市の業者が彼の死体をゴミ収集車に放り込むのを花は目撃した。そのなんとも衝撃的なシーンが彼とのお別れで、花は泣いている暇などなく、子供二人を守るべく逞しい母になって奮闘する。ありえない話なのは頭では十分すぎるほど分かっているが、花の頑張りには脱帽するしかない。都会ではおおかみこどもの雨と雪を守り切れないと判断した花は、誰も知らない、遠くへ、それも人里離れた遠い場所に引越すという決断をする。

 そんな場所でも、そんな場所だからこそ、当然のことながら人との付き合いは避けられない。普通の子供とは違う秘密を持った子供二人の正体をいつかは村人に知られてしまうのではないかと、花よりもビデオを見ているこちらの方がドキドキしてしまった。時には肝を冷やしながらも、まあ、作り話だからそんな心配は無用のなのにも関わらず、やきもきのしっぱなし。それは、おそらくこのビデオを見始めて、すぐさまこの物語の世界に没入してしまって、退屈という感情が入り込む余地がなかったせいだろう。

 最後に姉の雪と弟の雨が下す決断に、特に雨がひとり立ちする場面では、母親なら涙なしでは見れないだろう。寂しい限りだが、余計な心配はいらなかった。姉と弟はそれぞれ別の道を見つけて自立したのだから。

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