人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

実家があるのは幸せなこと

今週のお題「わたしの実家」

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思い出したくないことなのに、時が解決してくれて

 残念ながら、私の実家がある地域は隣の大きな市に統合されてしまいました。子供の頃から慣れ親しんだ地名はもう使えなくなり、なんだか寂しい気持ちでいっぱいです。これも時の流れなのか、と諦めてはいるのですが、世の中には郡や町がちゃんとした市になっているところもあるのを見ると、羨ましくなります。ただ、実家から離れて生活していると、そんな寂しい気持ちも日々の喧噪の中に埋没して何も感じなくなってしまうのも確かです。

 私の実家の目と鼻の先に次男の家があるのですが、兄のお嫁さんのミチコさんとは付き合いが全くありません。もちろん兄が病気になったり、亡くなったときは連絡をするのですが、そんな重大なこともなければ音信不通の状態でした。現在のミチコさんは実家に一人暮らしで、本当は貰い物があったりしたときはお裾分けをしてあげたいのです。でもそんな仲でもないし、そう思ったとしても向こうが相手にしてくれないのは重々承知しているのです。それでも何もなかったかのように普通に振る舞って、揉め事の芽を作らないように社交的な性格のミチコさんはうまくやっていました。

 子供の頃は仲が良かった兄弟が険悪になるのは、だいたいが親が亡くなったときのようです。私の家も世間の例にあるような遺産など全くないのに、次男の一言で予想もしない展開になりました。その一言で兄と発言の主を除いて、長女、次女、私の3人とも驚き、呆れ、激怒しました。あれは告別式が終わり、皆でお茶を飲んで一息ついている時でした。次男が突然、「自分の会社関係や友人からもらった香典は貰っていくから」と言い出しました。すかさず、次男の嫁も「うちの人の関係で貰ったのだから、私たちに権利があるはずです」などと主張しました。

 父の葬式で頂いた香典は父のための物であり、それは当然後継ぎである兄の物のはずです。それをとんでもない理屈をつけて、自分たちの物にしてしまおうとする次男夫婦の強欲さに嫌悪感しかありませんでした。当時は人の道に外れたことを平気でいう彼らを全く理解できませんでした。でも、姉はそんな理不尽なことを言う次男の言い分を聞き、彼らのしたいようにさせることにしました。お金のことで兄弟で争うことを避けたかったからなのですが、その後私たちは音信不通になりました。当の兄は離婚問題でそれどころではなく、実の弟と争う気などありませんでした。

 今思うと、次男はあんなに仲がよかった兄に失望して、見放していたからこそあんな大それたことを言えたのだと、あるいは彼の妻がそれを止めるのではなく、背中を押したからなのかもしれません。彼らは彼らで自分たちなりの正論で持って、一点の後ろめたさもなく自己主張してきます。こちらはそれがおかしいとわかっていても、どちらが正しいかは問題ではなく、無駄な争いはしたくないだけでした。若かった私は不甲斐ない兄を責めるしかなかったし、顔を見たくないとさえ思いました。二度と会いたくないと思っていたのに、時の魔法は凄いです。心の中に渦巻いていたドロドロしたものすべてを溶かし、人間なのだから仕方ないかと思わせてくれるのですから。

 次男夫婦とも兄の葬式で久しぶりに顔を合わせました。これまで実家に遊びに行っていた時はただ彼らの家を眺めるだけでいつも素通りで、訪ねようなどとは思いませんでした。積極的に話をする気にはなれませんが、それでも話しかけられれば、無視することはできません。普段他人と接するときと同様に一言、二言、短く応答してさっと済ませるだけです。次男は私にとって”通りすがりの人”のような存在になってしまいました。子供の頃はあんなに仲良しだったのに、結婚した時は悲しくて仕方なかったのに、すべては過去の遺物になってしまいました。

 今、改めて思うのは、映画やドラマに負けないくらい波乱万丈の物語を私たちは生きてきたのだなあということです。特に今ひとりで実家に暮らすミチコさんは山あり谷ありのアップダウンを何度も経験して、やっとそこに落ち着いて暮らしています。ミチコさんがいてくれるから、私は安心して実家に帰ることができます。

mikonacolon