人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

得意料理は鶏のから揚げ

どうしてそうなったのか、に大いに納得

 日経の夕刊のエッセイコーナーである『プロムナード』についに作家の町田そのこさんが登場した。どう考えても、遅すぎるとは思うが、私にとっては当然のことで,とても嬉しいことだ。そうはいっても、私は町田さんの小説を読んだことは一度もない。要するに、食わず嫌いで、その内容がどうも苦手に感じるあまり、敬遠していた。ただ、町田さんがどうして小説を書くのか、その胸中は実によくわかる気がする。「50ヘルツのクジラたち」で本屋大賞を受賞して以来、町田さんは全国の書店員から愛される存在になった。小説を読んでいないにもかかわらず、私は書店員の心をわしづかみにして放さない小説を次々と生み出す町田さんに興味津々だった。

 今回のエッセイのタイトルは『大分 鶏のから揚げ』で、町田さんの得意料理はから揚げだと言う。これは家族はもちろん、自他ともに認める事実だが、そうなったのには興味深いエピソードがあった。以前、子供たちに「私の味って何だと思う?」と何の気なしに聞いてみた。すると、彼らは「麻婆豆腐」と即答した。なるほど、そうだよねえ、と納得したが、内心では虚しい気持ちに襲われた。どうして、子供たちにとってお母さんの得意料理が麻婆豆腐ではいけないのだろうか。なぜなら、それはテレビでよく宣伝しているクイック調味料で作った麻婆豆腐だったから。それは母の味でも何でもなく、食品会社が万人向けに作った既製品の味だった。

 子供たちはとんでもない勘違いをしていた。でもその原因を作ったのは他でもない母親の町田さんだった。これはいくら何でもまずい。いや、なんとも虚しくて情けないことだった。それで、町田さんは一発奮起して、そんじょそこらにはない”母の味”を作ろうとした。偶然にも住んでいるのが、大分の中津市の近くで、そこは鶏のから揚げで有名な場所だった。そうだ、これしかない、これにしよう、と思いたち、試行錯誤を繰り返したあげく、やっと、母の味というか、何処に出しても恥ずかしくない味のから揚げが完成した。なので、今回のエッセイにも、「得意料理は鶏のから揚げ」と堂々と書いている。

 町田さんのエッセイを読んで、懐かしく思い出したのはクイック調味料のことだった。よくテレビのCMでやっていた某有名食品会社のクイック調味料は、昔はよく買っていたが、今では見向きもしなくなった。中華というのは初心者がほんの付け焼刃で上手くやろうとしたところで、上手く行くはずもない。あれは奥が深いのだから。それですっぱり諦めて、クイック調味料にあとは 任せたとばかりに頼り切りになった。ところが、何回か作ってみると、不思議なことにどうしても飽きがくる。最後まで食べ切る途中で自然と箸が止まる。完璧な味付けのはずなのだが、今一つ何か足りない気がしてくるのだ。あともう一つ何か、付け足せば、飽きずに済むのにその何かがわからない。クイック調味料は一個200円ほどするので、美味しくないとお金がもったいない。

 そうなったら、スーパーに行っても売り場にさえ寄り付かなくなった。マーボ豆腐からは早々に撤退したが、八宝菜や酢豚はよく作っていた。だが、その八宝菜にしても、もはや風前の灯火だった。あのどんよりとした片栗粉の餡が、障子を貼る糊のように感じられ、薄めでぼやけた味が気持ち悪く感じられるのに、そう時間はかからなかった。そして、酢豚に至っては、あの強烈な酸っぱさが鼻につきだして、ウワッとなり、口の中から吐き出しそうになった。それでも、何とか自分でアレンジして利用しようと、ケチャップを足してみたり、おたふくソースを入れてみたりと何でもできることはひととおり試した。それなのに、どうしてもあの酸っぱさは消えなくて、「もう耐えられない」と白旗をあげた。

 料理のレシピをネットで閲覧すると、甘酢餡というのをよく見かけるが、私は試してみたことがない。なぜかと言うと、美味しくできるかどうか自信がないからだ。でも、以前、料理研究家の人がレシピというのは、プラモデルで言うなら設計図のようなものだ、と言っていた。万人向けで、誰がやってもその通りにやればうまくできるものなのだと。それが、レシピなのだと。それなら私にもチャンスはありそうだ。では、ひとつ、酢豚でも作ってみようか。

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