人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

白菜がとろとろに変身

今週のお題「手づくり」

まるで小学生みたいに理科の実験のノリで

 先日私は台所である実験をした。もしもあれをああしたらどうなるだろう、的な素朴な疑問を解消したかったからだ。ここでの「あれ」とは白菜で、正直言って私は白菜が苦手で、あまり食べない。特に白菜の白い部分が嫌いで、硬くて、煮るとなんだか酸っぱい味がする。唯一白菜で好きなのはキムチで、葉先のふにゃふにゃした部分よりも、パリパリしている白い部分の方が美味しい。そんな私にとって、白菜を使った料理と言えば、八宝菜で、昔は味の素のクックドゥを利用して、賢く?時短料理をしていた。だが、私の好みとしてはああいう”どろり”とした料理は、「また食べたい」と思えるメニューではなかった。もちろん、白菜は白い部分は捨てて、葉先の柔らかい部分だけを使っている。その柔らかい部分は当然のことながら、熱を加えるとべちゃべちゃになって、片栗粉のどろりとした液と絡み合う。その状態の白菜を美味しいと思えればよかったのだが、そううまくはいかない。それを口に入れたときの触感がなんとも気持ち悪く感じられて、「もう当分八宝菜はいいや」となったのである。

 そんなわけで白菜とは疎遠になっていたのだが、なぜ今になって白菜が登場したかと言うと、大根の煮物に飽きたからだ。生来めんどくさがり屋の私は毎日のおかずを考えるのにうんざりしていた。それで一度作れば3日は余裕でもつ煮物を作ることにした。大根はそれなりに手抜きに役立ってくれたが、いかんせん自分の舌が「もういい加減にしてよ。だしの効いた薄味も甘辛味も両方とも食べ飽きたよ」と訴えかけてくる。そんなことを言われても俄かには新メニューはそう簡単には生み出せない。

 困った!と頭を抱えていたら、ある日の新聞の一面に『今週の物価』の記事がイラスト付きで載っていた。それを見ると、去年に比べて比較的値段が安い野菜はキャベツと白菜と出ていた。う~ん、白菜が安いのか、でも白菜をいったいどう食べたらいいのだろうか。こんな時にはネットで検索するに限る。早速調べてみると、一番簡単で美味しいメニューは白菜と豚バラ肉の炒めものだった。それで早速スーパーに駆け込んでみたものの、二件も回ったのに、あろうことか肝心の白菜が置いていない。作る気満々で、ちゃんと他の材料や調味料もメモしてきたのに、一瞬にして戦意喪失である。

 それでも2,3日経つと、失敗してもいいからとにかく白菜でおかずを作ろうと思いなおした。なぜなら、めんどくさいと言っていられない事態になったからで、何かを作らなければご飯のおかずがない。以前は葉先だけを使って、あとの白い部分はすべて捨てていた。今から考えれば、なんともったいないことをしていたのだと我ながら呆れる。でも白菜を丸ごと使おうと考えたのは、今流行りのSDGsでも何でもなく、ただ単にごみが出すぎるからだ。なので、捨てるのではなく、何とか食べて、お腹に収める方法はないかと考えた。確かに白菜の白い部分は固くて、食べると口の中でもぞもぞして気になってしまう筋が多くある。あれが一番の厄介な問題だった。

 それで、白菜の白い部分を下茹でして、柔らかくすることを思いついた。ついでにじゃがいもやニンジンなどの他の野菜も一緒に煮ることにした。白菜の白い部分が透明になるまで下茹でし、湯切りをして、糸こんにゃくや肉も入れて煮込む。だしは日高昆布とシイタケで、エバラのすき焼きのタレと少量の醤油で味付けをした。さて、出来上がって試食をしてみたら、あることに気が付いた、なんと白菜の白い部分の姿が見えないのだ。いったいどこに行ってしまったのかと、よく探してみたら、鍋の中に彼らはちゃんと居た。彼らは透明でトロトロの物体に変身していたのだ。いやはや、これには驚くしかない。作った本人が言うのも何だが、きっとこれを食べた人は「これ、白菜なんだよ」と言わなければ気づかないに違いない。

 正直言って、私も最初から「これはきっと失敗したかも。口の中があの白菜の筋すじで危機的状況に陥るのではないか」などと危惧していた。だが、意外にも気にならないどころか、トロトロ感で満たされて、煮汁まで飲んでしまった。

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