人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

山田ルイ53世さんはユニーク

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毎回、悩み相談のユニークな答えに脱帽

 日経の土曜日の別刷りに『悩みのとびら』という人生相談が載っている。このコーナーの回答者でユニークな答えを披露してくれるのはお笑い芸人、山田ルイ53世さんだ。以前30代の女性の相談者からこんな悩みを打ち明けられた。「趣味がありません。誰かに質問されると答えに困ってしまいます。一応、読書などと言って誤魔化しますが、好きな作家を語れるレベルではありません。趣味のある人は生活にはりがあって羨ましいです」。この手の質問によくある答えは「努力して趣味と呼べる何かを探してください」だの、「自分が生き生きできると感じる何かを追い求めてください」だのと”前向きな行動”を促すアドバイスが多いと感じる。自分が輝きたいのなら、どん欲に努力するしかない、やるっきゃないと背中を押すのだ。

 ところが、ルイさんのアドバイスは普通の人とは一線を画している。そもそも「ご趣味は?」と聞かれることなどお見合いの席を除いて滅多にない。唯一趣味の話をされるのは皮肉なことに仕事の時だけ。テレビ出演の時にスタッフから事前に「最近の失敗談を教えてください」とか、「人生で一番感動した瞬間は?」などとアンケートを渡される。それと言うのも番組の台本に反映されるためですが、没趣味の自分にはもうお手上げだと困っている。「英語のhobbyは何かのコレクションや芸術の方面の方面で『向上心を持ち、ひとりで長期間打ち込む活動』を指し、読書や映画鑑賞は含まれぬのだとか」。でも実際自分は何ひとつやったことがなく、その理由は面倒くさいからだそうだ。すごい、こんなに堂々とそんなことを言える人はなかなかいない。

 そして、「語れるレベルではない」という相談者の言葉が引っかかるのだそうで、何ひとつ卑下する必要などないと主張する。「語れない」ならむしろ何も「語らない」方がいいのかもしれないとさえ言ってのけるのには仰天した。自分は今まで数多くの語れる人たちの話を聞いてきたが、興味が全くなく、面白くもない話題にいちいち相槌を打つのは重労働!と切り捨てる。そしてその状態を「頼んだ覚えのないピザや寿司の出前と一緒でただの嫌がらせです。趣味を語ることほど悪趣味なことはありません」とまで言うのには目から鱗だ。う~ん、今までこんな風に感じた事はなかったけど、言われてみればまさに適切な比喩だと感心した。そういえば、ある番組でイケメンの俳優が自分の趣味であるテディベアに関することを話し出したことがあった。その内容があまりにも専門用語の連発だったので、その場にいた人たちは皆何のことか意味がわからず困惑していた。その人は好感度の俳優だったのだが、それ以来変な人以外の何者にもみえなかった。

 さらに、ルイさんはこうも言う。「昨今はワークバランスなる言葉がもてはやされ、『仕事もよいけど、家庭や余暇の時間を充実させよう!』と叫ばれがちですが、筆者などは『結局、充実させないと駄目なのね・・・』とため息をついてしまう」。生活のハリどころか針の筵(むしろ)で、そうなったら、本末転倒ではないかと疑問を呈する。それにしても、針の筵だなんてなかなかうまい表現ではないですか。最後に相談者の女性へ「こうなったら、生きること、それ自体が趣味!と開き直るのもひとつの手かと」とアドバイスした。充実させる義務など我々にはないとのユニークな発想からだった。こうなるともう完敗だ。頭をガツ~ンと殴られた気分になった。こちらは猫も杓子も、マスコミに踊らされ、充実させなきゃとばかりに焦っているからだ。自分は果たして毎日張りのある生活を送っているかどうか、いちいち確かめなきゃいけないとしたら、それは自由とは言えない。全然楽しくなんかないですよ。

 充実させなきゃ駄目なんですか、でも、カラスの勝手でしょう、とうそぶきたくもなる。だからルイさんの言うように、堂々と無趣味だと主張していいのだと実感した。毎日が充実しているとはとても思えない人が、心底自分では幸せを感じていることだってある。以前テレビの番組で見たひとり暮らしの老人は、傍目には孤独で寂しそうに見えた。でもその人は「ひとりって気楽でいいよ、食べたいときに食べて、寝たいときに寝る、最高だよ」と満足そうに話していた。

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