人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

雨の日にヘビを思い出す

今週のお題「雨の日の過ごし方」

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 ヘビが逃げ出したニュースで子供の頃を思い出して

 毎朝、散歩をしていると、たまに”赤い人”に出会うことがあります。赤い人とは、長身で赤いトレーニングウェアを着て、ランニングしている外人の男性のことです。不思議な人で、家の近くで出会った時は、いつもスマホを見ながら歩いています。いったいどこに住んでいるのか、何をしている人なのか、気になりますが、その辺でやめておきます。気になると言えば、最近はテレビでニシキヘビが逃げ出したニュースが話題になっています。アパートでこっそり全長3メートルのヘビを飼っていたなんて、逃げ出したからこそ分かったのです。どう考えても、もし自分が隣人だったらと思うとぞっとしてしまいます。警察の人たちが懸命に捜索したのに見つからないので、捜索打ち切りになったと聞いて、これからどうなるのと戸惑っていました。そしたら、昨日のニュースでアパートの屋根裏に潜んでいたのを爬虫類の専門家が見つけたというのです。ヘビはそんなには遠くに逃げない生き物だとか、ともかく見つかってよかったとホッとしました。

 考えてみると、子供の頃はヘビにはたまに出会っていました。出会っていたと言っても、ヘビはいつも突然姿を現して、こそこそと逃げて行きました。見渡す限り田んぼや畑しかない田舎で、道を歩いていたら、草むらにヘビが逃げ込むのを見ました。あるいは、畑で農作業の手伝いをしていて、すぐ側にヘビがいるのに気づいてギョッとしていたら、あちらは人間が怖いらしく素早く姿を消しました。もう微かな記憶しかないのですが、いつだってヘビは茶色い色をしていた気がします。

 あの頃、男の子たちの間ではヘビの抜け殻を捜すのが流行っていました。私の家の畑は火葬場のすぐ側にあったのですが、その近くの草むらで抜け殻を見つけたことがありました。一見、ポリエステルでできているかのような白い独特の模様を見ながら、ただ不思議に思っただけでした。男の子たちが言うのは、ヘビの抜け殻をポケットに入れておくとお金持ちになれるのだそうです。誰がそんなことを言ったのか、俄かには信じられないことですが、あの頃は遊び半分でそう信じていたのです。事実、彼らのひとりはズボンのポケットからヘビの抜け殻を出して、みんなに見せびらかしていました。でも、私にとってヘビは気持ち悪いだけだったので、抜け殻の何がそんなにいいのか、到底理解できませんでした。

 以前、朝日新聞の『ひととき』欄に80歳の女性の方の投書が載っていました。なんとそこには「ヘビは怖くない」と書いてあったので仰天してしまいました。その方は自分の家の庭でヘビと愛犬が対峙しているのを目撃したのです。でもパニックになることはありませんでした。ヘビの性格を熟知しているので、慌てることなく犬をなだめて事なきを得たそうです。ヘビは普通自分からは攻撃を仕掛けることはないのに、犬が威嚇したせいでその気になったというのです。緑がかった茶色のヘビはその方のとっさの機転のおかげで戦わずに済んだのでした。ガマガエルよりまだヘビの方がまだましだというその方に絶句しながらも、その方の対応力に感心したのです。

 思えば、もう長いこと野生のヘビを見たことはありません。ヘビどころかトカゲすら見たことがないことに改めて気づかされました。以前田舎に親戚の子が遊びに来ていました。お盆なので親についてきたのですが、その子の目的は別のところにありました。私にとってはトカゲもヤモリもたいして変わりなく、区別などできないのですが、爬虫類を探しに彼はやって来たらしいのです。中学生で、見たところ優しそうでおとなしい彼は、都心のマンションに住んでトカゲを飼っていました。詳しく聞いてみると、そのトカゲのエサはコオロギで、わざわざ買ってくるのだと聞いて大変だなあと思ったものです。彼は朝食を済ませると、家族の運転する車で出かけて行き、夕方になるまで帰っては来ませんでした。お盆の3日間の間、懸命にお目当ての爬虫類を探し、収穫があったのか満足して帰って行きました。それまでペットというのは、たいていは犬か猫ぐらいしか思い浮かびませんでした。でも、自分の身近に、それも親戚の子が爬虫類好きだなんて知ってしまって、世の中はこれだから面白いと思ったのです。

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梅雨は読書に最適な季節

今週のお題「雨の日の過ごし方」

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雨の日は読書にもってこいの天気だと気付いて

 覚悟はしていましたが、とうとう梅雨の時期になってしまいました。まだまだだと思っていたら、予期せぬ早さに面食らってしまいました。かと言って、梅雨の過ごし方と言われても、特に思いつきません。でも、自粛生活の中で梅雨を過ごすのなら、少しは工夫しなければなりません。ジメジメ、ジトジトといった身体に纏わりつくような不快感の中で、いかに快適に過ごすかを考えてみることにしたのです。でも、この季節特有の気候は自分の力ではどうにもならないので、何かで少しでも気をそらすしかありません。では、何がその役目をはたしてくれるのかと言ったら、すぐに思いつくのは、音楽や書物といった類のものです。昔の人は楽器演奏や詩を作ったりして気を紛らわしたと言われています。

 ふと思ったのですが、雨の日は晴れた日よりも気持ちが落ち着くのです。今朝雨音で目を覚まして、布団の中でじっとしていたら、とても落ち着いた気持ちになりました。正直言って、家の中より外が好きなのですが、外が雨風激しい時は家に居るより仕方がありません。それに晴れた日に聞こえてくる外の喧噪が雨音にかき消されます。なので、集中するには最適の環境になるだと初めて気づいたのです。天気がいい日に昼間家で何かに熱中することは、私にはとても難しい事でした。外が気になって、外に行きたくて仕方がなくて、どうしてもソワソワしてしまうのです。「昼は行動の時、夜は思索の時」と五木寛之さんが書いておられるように、昼間は集中力に欠けるのです。でも、雨降りとなると状況は一変するのです。つまり、梅雨の時期は読書をするのに最適な季節といえるかもしれません。

 それで、家の中で何か読むものを探してみました。本棚にある本は自粛生活ですでに読んでしまったので、押し入れや倉庫を捜すしかありません。でも、以前流行っていた断捨離をしてしまった後なので、ほとんど本がないのです。本屋に行って探しても、なかなか買いたい本がありません。今更、こんなことを言っても埒が明かないのですが、もう少し本を捨てずに置けばよかったと後悔したのです。ある片付けの本には「本はいくらでもまた手に入れることができる」のだと書いてありました。たぶん、そう書くことによって、少しでも軽い気持ちで手放せるようにとの配慮があったと思うのです。

 ですが、その時処分したお目当ての本を手に入れようとするのは至難の業なのでした。本屋に売っていないなら、それなら図書館に行けばあるのかと思ったら、それは甘い考えだと思い知りました。もう何年も行っていない近所の図書館を久しぶりに覗いてみたら、本の少なさに愕然としてしまいました。家から歩いて10分のところにあるその図書館なら返すのも楽だと単純に考えたのですが、思慮が足りませんでした。やはり、借りて読むのなら面倒でも遠くにある中央図書館に行かなければならないようです。それと、今回、図書館に行って気づいたのは、図書館の本にはカバーと帯がないことです。普通、本屋で本を選ぶときはカバーや帯に書かれている文句によって、ある程度内容が想像できます。でも図書館の本はタイトルだけなので、パラパラとページを捲って内容を確かめるしかないのです。

 いずれにせよ、鬱陶しい季節を何かに熱中して乗り切ることは必須事項です。その何かを見つけることが、これからの課題であり、また楽しみでもあります。先日、本屋でNHKの語学講座のテキストを買う際についでに岩波文庫の『中国唐詩選』を買いました。買うつもりは全くなかったのですが、いつも中国ドラマを見ているせいか気になったのです。その本の中のある詩には虹が出て来るのですが、この詩が作られた中国の衛では虹はタブーとされているのです。雨上がりの晴れ間に見える、誰からも歓迎される、あの虹がこの時代の人にとっては汚らわしいものなのでした。解説によると、「虹は天と地が性的に交わったときにあらわれると考えられた。それは秩序を乱す不穏なしるしであり、男女の場合は淫蕩を、君臣の場合は謀反、不忠を意味する。世の転覆を予兆する『白虹(はっこう) 日を貫く」という成語もある」そうです。時代によって、物の見方というのこんなにも違うのかと目から鱗でした。と同時にこれから先ページを捲るのが楽しみでしかたありません。

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失恋して、やる気が出ない

今週のお題「やる気が出ない」

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 後輩が元気がない訳に仰天して

 まだ若かった20代の頃、会社にさゆりちゃんという可愛い後輩がいました。性格が素直でおとなしい子で、同僚とも仲良くやっていました。その彼女がある日、突然元気がなくなって、顔の表情も暗く沈みがちになった時期があったのです。仕事にも真面目に取り組んでいたのに、どう見てもやる気が出ないようなのです。具合でも悪いのかと心配して聞いても、なんでもないと答えるばかりで原因がわかりませんでした。そしたら、昼休みに同僚たちが彼女の噂をしているを偶然聞いてしまったのです。

 彼らの話によると、さゆりちゃんは隣の資材課の樋口さんに失恋したのでした。樋口さんはどこにでもいるようなあまり目立たない20代後半の男性でした。失恋したと言っても、全くの彼女の片思いで樋口さんにして見れば、迷惑以外の何物でもありませんでした。信じられないことに、さゆりちゃんは自分の樋口さんに対する恋心を抑えきれず、駅の改札口で待ち伏せしたのでした。この頃はまだストーカーなどと言う言葉はありませんでした。あのおとなしいさゆりちゃんのどこにそんな暴挙に出る一面があったのか、戸惑うばかりでした。同じ課ではないにしても、会社で顔を合わせる機会も多いのに、さぞかしやりずらいだろうと同情したものです。もし、私がさゆりちゃんなら、穴があったら入りたい気持ちでいっぱいで、会社に行く勇気が出ないと思うのです。

 それでも、さゆりちゃんはひるむことなく毎日会社に来て仕事をしました。考えてみると、若さというものは後先考えず、行動してしまうものなのです。思慮が足りなかったと後悔するとわかっていても突っ走ってしまうのです。あの頃、職場恋愛というものが流行っていて、同僚たちがたちまちのうちにカップルになりました。そんな彼女たちを見ていたら、自分もあんなふうになりたいと思うのが普通です。そんなとき、休憩の時に樋口さんについて誰かが噂をしているのを、さゆりちゃんは耳にしたのです。樋口さんとはエレベーターや仕事のことで打ち合わせをするときに、たまに顔を合わせる程度でした。それまでは特に彼のことを意識したりすることはなかったのです。

 噂によると、樋口さんの実家は資産家で、父親は会社を経営していて裕福なのだというのです。あんな家の息子と結婚出来ればいいのにだなんて、無責任に誰かが言ったのに違いありません。それを聞いたさゆりちゃんは、急に樋口さんのことを意識しだしたのです。まず、樋口さんと顔を合わせたら、できるだけ話をするようにしたのです。きっと、この時彼はさゆりちゃんの中では理想の王子様だったのです。そしてそのアプローチが何回か続いた後、さゆりちゃんは彼に告白しました。自分と付き合ってくれるように迫ったのですが、何も知らない樋口さんは面食らってしまいました。ロクに話をしたこともないし、親しくもない職場の女性に突然交際を申し込まれても、どう返事していいかわかりませんでした。それで、樋口さんは相手を気づつけないよう丁重に断ったのです。

 ところが、樋口さんの断り方に納得がいかなかったのか、さゆりちゃんは諦めませんでした。だから、樋口さんが住んでいるアパートの最寄り駅で待ち伏せすることにしたのです。さゆりちゃんは樋口さんが家に帰る時間に合わせて、駅の改札口で彼を待つことにしたのです。彼が改札を出て来ると、嬉しそうに手を振って迎えたのです。つまり、諦めなければ願いはかなうというか、誠意?を見せれば人の心は変えられると固く信じていたのです。それなのに、樋口さんの心にはさゆりちゃんへの好意はひとかけらも芽生えず、ただ不快感だけが日々増殖していたのです。

 そして、ある日樋口さんは堪らずにさゆりちゃんを会社のテラスに呼び出しました。樋口さんとしては、ストーカーみたいな行為をされて、もう我慢も限界でした。これ以上続けるのなら、上司に報告すると怒りをあらわにしたのです。さゆりちゃんは、樋口さんのきつい言葉を聞きながら、ただ泣くばかりで何も言えませんでした。偶然、二人の諍いを目撃した誰かによって、この噂は会社のみんなが知ることになりました。若気の至りと言えばそれまでですが、そんな目に合ってもさゆりちゃんは挫けませんでした。若さは強さでもあるのだとつくづく実感した騒動でした。

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雨が続いてやる気が出ない

今週のお題「やる気が出ない」

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 雨は恵みの雨でもあり、また憂鬱の種にもなって

 今朝いつものように散歩に行こうと外に出たら、日差しが見えたので一瞬嬉しくなってしまいました。今日は梅雨の晴れ間かと思ったのですが、帰る頃には相変わらずの曇天でがっかりしました。今年は例年より20日も早い梅雨入りだそうですが、早いからと言って明けるのも早いかと思ったら、そうとは限らないのだと『天声人語』に書いてありました。つまり、今年は梅雨との長いお付き合いが続くのを覚悟しなければならないようです。梅雨を五月雨というのは旧暦に由来していて、俳句には「五月闇(さつきやみ)」という季語もあって、なかなか適切な表現だなあと感心してしまいます。そして、この時期悩まされてしまう黴(かび)もまた夏の季語なのだと初めて知りました。
 考えてみると、雨が降り続かなくても、いつだって雨は悪者だった気がします。「あいにくの雨」でとか、「雨が降って足元が悪い中」ご来店いただきとか、「嫌な雨」で気分が悪いとか、散々ひどい事ばかり言われているのです。以前、同僚が「こんな雨ばかりじゃ、やる気が出ないわよね」と私に同意を求めたことがありました。でも、正直言って、自分としては雨が降るのはそんなに嫌でもなかったので、返答に困ってしまいました。どうやら、外で降る雨は人間の心にも雨を降らせてしまうらしいのだと気付かされました。なので、自分はけっこう雨がポツポツとかシトシト降る音を聞くのが好きだなんてことを言うのはやめておいたのです。「雨が降るのがそんなに嫌なの?」だなんて聞けるわけがないのでした。不思議でしかないと卒直に聞いてみたい気がしたのですが、変な人と思われるのが嫌で言葉をぐうっと飲み込みました。

 思えば、子供の頃は今よりももっと雨降りの日が大好きでした。小学生だったあの頃、学校に差していく傘は黄色と決まっていました。交通安全の面からも、一番目立つ色ということで黄色がいいと考えられていたのです。でも、子供の心はまた別で、可愛くて、ぱあッとした綺麗な色の傘が差したいのです。だから、唯一の楽しみは長靴で、長靴だけは好きな色を選べるのです。お気に入りの長靴を買ってもらうと、雨の日が待ち遠しかったものです。水たまりで遊んだり、寄り道して木々の葉っぱの上にアマガエルがいないか探したものでした。雨上がりに急に姿を現すヒキガエルは気持ち悪いのですが、親指ほど小さな黄緑のカエルは可愛いのです。だから、触って見たくて堪らず、指でつまんで自分の手のひらに乗せてみました。じっと動かずに大人しくしているカエルを少しの間眺めて、それで十分満足したものでした。

 雨というと、韓国ドラマの時代劇のある場面が思い浮かびます。次期王と噂される世氏(セジャ)と女官が予期せぬ雨に降られて建物の軒先で雨宿りをします。すると、その女性は濡れてしまうのに、手を伸ばして手のひらで雨を受け止め始めました。空から降って来る雨粒を、まるでキラキラ光る宝石でもあるかのようにうっとりと眺めていたのです。明らかに雨を嫌っていないのです。というより雨を歓迎しているかのようにも思えてきます。こんな場面は日本のドラマでは見たことがありません。どうやら外国では、少なくても韓国では、雨は日本ほど嫌われ者ではないようです。その国によって雨に対する感じ方も思いも違うらしいのです。その後、ある外国のドラマでも同じような場面を見るにつれて、その思いが一層強くなりました。

 行きつけのカフェの店主が雨の日はお客さんが少ないのだと嘆くほど、それくらい雨の影響は大きいのです。でも、その日本の常識は世界でも同じと思っていたら、違っていて面食らった経験があります。ベルリンにある博物館群の一つであるペルガモン博物館に行った時のことでした。その日は朝から雨がシトシト降り続いていたので、そんなに早くから列に並ばなくても大丈夫だと思っていました。人々は皆雨を敬遠して朝早くから来ないものだと決めつけていたのです。でも実際は行ってみたら、長蛇の列で仰天してしまいました。外国では日本ほど雨にこだわらないのだとわかって目から鱗でした。

 残念ながら、すでに梅雨に突入してしまった今となっては、気持ちを切り替えるしかありません。「雨でやる気が出ない」という前にどうしたら気分が晴れるか、その対策を無い知恵を絞って考えるしかなさそうです。

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リズムが狂って、やる気が出ない

 

今週のお題「やる気が出ない」

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 毎日の生活が一変して、心も身体も不調になって

 今まで意識せずに当たり前のようにやっていた習慣が、ある日、突然必要なくなったとしたら、誰だって呆然としてしまいます。毎日同じ時刻に起きて、いつもの駅に行って電車に乗ります。会社のある最寄りの駅で降りたら、自然と足は職場に向かっているのです。そんな決まりきった日々がこれからも続くのだと信じていたのですが。現実は違いました。そうなんです、コロナウイルスの流行が暮らしを変えてしまったのです。最初は何が起こっているのか、これからどうなってしまうのか、わからなくてオロオロするばかりでした。でもすぐに状況がわかってきました、つまりそれまで普通にあった仕事が激減したのです。

 近所に住む知人は今まで月曜から金曜日までフルタイムで仕事をしていました。彼の仕事は製本業で、と言っても本を作るのではなくて、デパートのフロアーガイドとか映画のパンフレット、チラシの制作等が主な仕事でした。彼はちょうど3月のコロナが流行る前に翌月の仕事の工程表を見て仰天しました。なぜなら、そこには空白しかなくて仕事がガラガラだったからです。彼はその時、これからは仕事が無くなることを覚悟したのでした。予想通り、自宅待機になったわけですが、仕事人間だった彼には余暇の過ごし方がわかりません。週末には競馬や野球といった楽しみがあるのですが、普段の日は何をしていいか見当もつきませんでした。それで、それまで見たこともなかったNHKの朝ドラや韓国ドラマをみて暇な時間をやり過ごすしかありませんでした。後は以前は時間がなくて読めなかった歴史小説を読むようになりました。

 皮肉なことにコロナの流行のせいで、思わぬ余暇を手に入れたわけです。以前は仕事が忙しくて、できることならもっと欲しいと思っていた休みがいとも簡単に手に入ったのです。これからどうなるかという不安はもちろん頭の片隅にあったのですが、それよりもまるでギフトともいうべき休日を最初のうちは密かに楽しんでいたのです。ところが、いつも立ち仕事なのに、座ってばかりいたせいか腰が痛くなってしまいました。彼にとって腰痛はたいして珍しくもないことで、湿布を貼って安静にしていれば治るので楽観していたのです。でも1週間を過ぎて、10日経ってもよくなる兆しは見えませんでした。それで、まさかコロナウイルスに感染したのではと疑心暗鬼になってしまったのです。幸運なことに、会社に行く日が近づくに連れてだんだんと腰痛の痛みがなくなってきました。

 久しぶりに仕事ができて嬉しいはずなのに、なぜか、その日の彼は浮かない気分だったのです。「何か調子が狂っちゃって、やる気が出なくて」と信じられないことを口にしたのです。仕事に自信を持っていて、生きがいだったのはずなのにと絶句してしまいました。考えてみると、例外を除いてほとんどの人たちは変化に弱いし、また変化を嫌います。それは心も身体も慣れていたリズムが乱されるのを避けたいからでもあります。彼の場合も、自宅待機の間に、いかに自分のモチベーションを維持するのが難しいかを痛感したはずです。自分の心なのに、どうやって折り合いをつけていいのかわからないのです。幾度となく押し寄せて来る、これからどうなるという不安を振り払いながら、そのことは考えないように自分に言い聞かせます。そんなことを考えること自体、全く意味がないからです。

 その後、彼は2~3日は会社に行ったのですが、またすぐに仕事が途切れてしまいました。人間にとって、こういった不確実な状況が一番精神的に堪えることは明らかです。それに、久しぶりに仕事をしてみたら、やたらと疲れを感じてしまいました。以前は何でもなかった、慣れているはずの仕事が一日を終えたら辛いと感じてしまったのです。それでも、体力の衰えと精神的な落ち込みに愕然としながらも、彼は何とか今をやり過ごそうと奮闘しています。

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寝不足でやる気が出ない

今週のお題「やる気が出ない」

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 睡眠不足でも問題ないと思ったら

 若い頃は、ぐっすり寝ることがいかに大切かなんて考えたこともありませんでした。でも、年を取った今では睡眠は人生の質を左右すると言っても過言ではないと思うのです。なぜなら、一日8時間眠ると仮定すると、一生のうちの3分の1は寝ている計算になるからです。それなのに、若い頃の私ときたら、寝るのがもったいないなんて思っていたのです。確かに一日は24時間で誰にでも平等に与えられています。でもやりたいことがあまりにも多いと、時間が足りなくなってしまいます。その場合、すぐに思いつく解決法は睡眠時間を削ることでした。必要とされるというか、8時間眠るのが理想なのですが、自分にとっては5時間でいいと勝手に決めていました。それに自分の周りに居る友達や同僚もまた、睡眠をしっかりとるなんてことを気にしている人はいませんでした。だから、実際は明らかに睡眠不足で、昼間にあくびが出たとしても自分の生活を疑ってみることなどしなかったのです。つまり、睡眠不足を若さというエネルギーで補っていたわけです。

 あの頃、いつも会社の帰りに同僚と飲みに行ったものです。仕事が終わってまっすぐにアパートに帰るのが嫌だったのか、あるいは寂しかったのか、どうしてなのかは思いだせません。たいして社交的でもない私があんなにも彼らと付き合ったのです。彼らは善良で一緒に居て楽しい人たちだったことは確かでした。それに私も若くて好奇心旺盛で、まだ人間関係の難しさを知る由もなかったからです。そんなある日、ほとんど眠らないまま会社の行く羽目になったことがありました。どういう流れでそうなったのか、なぜそんなことになったのかは思いだせないのですが、ついつい終電を逃してしまったのです。さて、これからどこで朝まで過ごそうか、あの時はたしか男性二人と私を含めて女性二人の4人でした。誰一人として自分の家までタクシーで帰ろうだなんてことは考えもしませんでした。

 繁華街の舗道を4人でぶらぶら歩きながら、なんだかんだと言いながら楽しそうでした。どうしていいかわからない状況なのに、みんな本気で困っていなかったのです。そんなとき、男性の同僚のひとりが「友達のマンションがあるけど、そこに行かないか?」と提案をしました。驚いて他の3人が「本当に行ってもいいのか?」と半信半疑で聞くと、今は住人は出張でいないので大丈夫だと言いました。そのマンションはタクシーで10分程度のところにあって、普段は同僚の友達が女性と二人で住んでいました。都心にある2LDKのおしゃれなマンションで、私たちは興味津々で部屋の中を見て回りました。どの部屋も誰がいつ来てもいいように、整理整頓されて、綺麗になっていたのには感心した覚えがあります。

 4人で少しの間たわいもない話をしていたのですが、さすがにあくびが出てきたので寝ることにしました。同僚の女性と私は、ベッドルームを使うことにして二人で横になりました。でも不思議なことに眠くてたまらないのになかなか眠れません。それは私だけでなく彼女も同じで、結局私たちは朝までおしゃべりをして過ごしました。そんなことができたのも、すべては少しくらい眠らなくても平気だという自信があったからでした。朝になり地下鉄が動き始めると、私たちはマンションを出て会社の近くにあるカフェに行きました。誰もが明らかに寝不足なのですが、たいしてそのことを気にもしていませんでした。カフェのモーニングを食べながら、コーヒーでも飲めば眠気も吹き飛ばせるはずと信じていたのです。

 いざ会社に行くと、身体がいつもの仕事モードに切り替わり、何の問題もなくスムーズに進んでいきました。若さなのでしょうか、何の不安もないせいなのか無事に一日を終えることができたのです。ところが、年を取るにつれて、悲しいことに集中力がなくなってくるのを感じるようになりました。やる気はあっても集中力が続かないのです。つまり、やる気があっても、やる気が出なくてもどかしいのです。それで、集中力を高めるにはどうしたらいいのか、いろいろ調べてみたら、睡眠の質の問題が大きく関わっているのだと知りました。よく眠ることは良く生きることなのです。

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自粛生活でやる気が出ない

今週のお題「やる気が出ない」

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 ワクチンを外国で接種するという選択もあると知って

 昨日の朝、自分の部屋で動画サービスでドラマを見ていたら、隣の部屋からテレビのニュースが聞こえてきました。その内容は米国で日本人観光客がワクチンを接種したというものでした。それを聞いた私は、観光客とワクチンの組み合わせがどうしても信じらず、椅子からひっくり返るくらいの衝撃を受けてしまいました。たしか、日本からの観光での渡航は禁じられているはずなのに、なぜ、どうしてそんな簡単に?といった疑問が頭の中を駆け巡りました。接種を受けたのはある夫婦で、彼らは日本の旅行会社ではなくて、現地の旅行会社に直接依頼したそうです。特筆すべきはインタビューで妻の方が「ワクチンを打つことできた今は、とても晴れがましい気持ちです」と感無量の発言をしていたことです。1年以上にもおよぶ自粛生活から抜け出せるというお墨付きをもらったような気分なのでしょう。ワクチンがコロナウイルスによる感染症に万能であると信じて疑わないからこそとも言えます。

 正直言って、私もワクチンさえ打てば、自由になれると固く信じていたのです。でも専門家の見解では、すぐに以前の生活に戻れるわけではなく、まだまだ自粛は必要なのだそうです。それにしても、渡米してまでワクチン接種を望んで、実際に実現させてしまうこと自体、その行動力には脱帽せざるを得ません。日本で自分の番を待っていたら、このままでは一体いつになるかわかったものではありませんから。ほとんどの国民は素直に我慢して政府の言いなりになるしかないと諦めるのに、不可能だと思える状況の中でも僅かな可能性を捜す人たちもいるのだと知りました。彼らが利用した旅行会社のワクチン接種のツアーは3泊4日で、こんな短期間に接種できることに改めて驚かされます。彼らの行動は果たして、ありえない選択なのか、あるいは賢明な選択なのか。その判断は個人それぞれであり、もしかしたら、あとに続く人たちも大勢出て来るのかもしれません。

 いずれにしても、この先どうなるかわからない中での、ワクチン接種はやる気を出す原動力になるはずです。自ら望んでワクチンを打った人は、その日から目にする景色は今までとは違ってくるはずです。自粛生活で気が滅入って、精神的に追い詰められていた人が元気になれる、やる気が出なかった人が希望の光を見出せた結果、やる気を出す気になる、そんなきっかけを与えてくれるならワクチン接種は必須です。新聞やテレビなどで副反応の問題も指摘されてはいますが、現在の情報から判断する限りでは、接種しないという選択肢は考えられません。でも現実には、医療従事者の2割の人たちはワクチン接種を拒否しているのですから、それなりの理由があるのです。私などにとってはわからないことだらけなのですが、現状は専門家の意見に従うしかありません。変異ウイルスにも効果があるというワクチンは今の感染状況を収束させてくれるのか、私たちはこれから先を見守っていくしかないのです。

 日本ではこれからじめじめした梅雨の時期を迎えますが、一方でイタリアでは夏の観光シーズンを前にしてドラギ首相からある発表がありました。それはワクチンを接種した日本人観光客に対して、隔離なしで入国を認めるというものでした。接種が予想外に進まない日本とは別次元の展開にただ戸惑うしかなくて、世界から取り残されている感が否めません。こうなると、ワクチン接種に対してますます期待感が増して来ます。自分の人生の残り時間を思うと、一日でも早く海外旅行に行きたい高齢者の人たちはワクチンを渇望しています。残念なことにワクチンを巡る混乱は続いているようで、ワクチン狂騒曲のような展開にならないことを祈るばかりです。

 「自粛生活でやる気が出ない」というタイトルにしましたが、私自身は実際にはこれまでの人生で一番やる気になっている生活をしています。コロナに感染しないように、免疫力をつけるため早寝早起きで規則正しい生活を心がけているのです。毎朝、朝日を浴びる生活は心の健康を保つためにも大いに効果があるようです。近くに緑あふれる公園など無くても、近所にある草花で十分に満たされるのです。人間は行動規制されて、移動できなくなると、身近にある小さなもの、これまで見向きもしなかったミクロの世界に目を向けざるを得ないとか、そんなことをトレイルランナーの鏑木毅さんがエッセイに書いていました。植物の成長を我が子のように見守ったり、綺麗な花に出会って心に小さな灯りが燈ったら、その名前を知ろうとネットで調べまくるのです。

 最近は人との接触があまりないおかげで、嫌な思いをすることが減ったのですが、一番の敵は自分だと知りました。自分で自分の心の機嫌を取る必要があると痛感したのです。以前は自己嫌悪に陥って、鬱の一歩手前まで行くこともありました。でも今はこの1年で身構える習慣が付いたせいか、マイナス思考禁止が日常になりつつあります。考えても考えてもどうにもならないことでクヨクヨしていたら、それこそ時間の無駄だと気付いたのです。

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