人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

お腹が満たされたら

フードバンクを利用した人からの投稿に新鮮な驚きが

 昨日の新聞の紙面で気になったのは30代の男性からの投稿だった。だいたいが60代から80代の方からの投稿が多い中で、30代というのは滅多にないので注目してしまった。もっとも近頃はなんと90代の方からの日常風景を綴ったものもあって、きちんと生活しておられるのに感心することも多々ある。この30代の男性は自分の住む町の隣の市でフードバンクの食品配布会があることを知った。スマホで検索して会場の場所を調べ、片道1時間半かけて自転車で行ってみた。現地に着くと、「係りの人がねぎらいの言葉をかけてくれて、自転車の前かごと持参したリュックがいっぱいになるほどの食品や日用品を提供してくれました」と予想外の待遇に驚きを隠しきれないようで、感謝でいっぱいだと書いていた。

 片道1時間半も自転車を漕いだら、普通は疲労困憊でぐったりとなる。でも彼は家に着いて改めて貰った食品の山を見たら、疲れが吹っ飛んだ。子供の頃クリスマスに「サンタさんからプレゼントを貰った子供のように喜びました」と素直に真っすぐな感想を述べていて好感が持てた。世間の人から見たら、フードバンクを利用するだなんてことは声を大きくして言えることではないと偏見を抱いていた私はハッとさせられた。自分が困っていることを人は隠そうとするが、それは変なプライドが邪魔しているからで、彼のように堂々と支援を求めていいのではないかと思った。でも人は後ろめたいとか自分が情けないとか、あるいはそんな自分が許せないとかの理由で、暗い闇の中で悶々としてしまうものだ。ましてや彼のように新聞の投稿欄で実名でフードバンクを利用した報告をしてくれる人など皆無だろう。

 彼は「人によっては『何もそこまで・・・』とか『自己責任』とか批判的に言うのかもしれません、しかし、どうであれ、お腹は減るのです」と主張する。そうなのだ、その通り、世間の人はなんだかんだとゴチャゴチャ勝手に言うのだが、そんなことは腹の足しにもなりはしないのだ。まずはお腹を満たすことが先決で、フードバンクから頂いた食品はきっと真っ暗闇で心細くなった心も満たしてくれるだろう。”腹が減っては戦はできぬ”と言われるが、投稿の文面も「お腹が満たされたおかげで気力が湧きました」と明るい言葉で結ばれていた。空腹ではネガティブなことしか頭に浮かばないのは当たり前で、そんなことぐらいでと言わないで欲しい、短絡的なことかもしれないが、お腹が十分満たされると人には心の余裕が生まれるものらしい。

 今まで自分の中ではフードバンクというものはその場しのぎの支援でしかないと思っていた。だが、この投稿を読んで、”一時的な支援”のように見えても、当事者にとってはこれからを生きる希望の光になり得るのだとわかった。何よりもガ~ンと胸に響いたのは「どうであれ、お腹は減るのです」と言う人間にとって究極の欲望をサラッと生々しさなどなく訴えていることだった。考えてみると、理性で誤魔化してはいるが、人は空腹だとイライラする、いや、普通ならどうってことないことにも腹が立つこともある。だから、例えば貯金通帳を眺めて、その残額の少なさにため息をつき、さらに空腹でお腹が鳴ったとしたら、目の前にあるのは”絶望”でしかない。そんなときは決まって物事の暗い面しか見ようとしないし、あることないことロクでもないことしか頭に浮かんではこないだろう。

 でも、一時的にせよ食べ物でお腹が満たされれば、人は幸せな気分になれるし、ホッと一息つけるのだ。そうなれば、人は現状を打破するいい考えを思いついたり、あるいはそれが何らかの行動を起こすきっかけになるかもしれない。人の気持ちは摩訶不思議で、ちょっとしたことで、思い悩んだり、喜んだりと予測がつかない。いずれにせよ、今回の投稿で”腹が満たされてこそ、人は前向きになれる”ものなのだと気付かされた。

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現代アートに困惑

日本では反応が鈍い、でも海外では熱烈歓迎!?

 先日のTBSラジオ『宮藤さんに言ってもしようがないんですけど』には目から鱗だった。今回は現代アーティストの男性C さんと女性A さんのふたりがゲストだった。”現代アート”と一口に言っても、様々な形態があるが、正直言って、当方にとっては敷居が高すぎて敬遠していた。番組のMCである宮藤さんも言っていたが、「こんなこと言って申し訳ないのだけれど、見たところで何が何だか分からないから、つい足が遠のいてしまうんですよね」となってしまう。そのとおりなのだ、作り手のエネルギーは十分わかるのだが、果たして「これって何が面白いのか」と考えてしまうと苦しくなってしまうのだ。それらの作品を「素晴らしい」とか「いいね」とか思えない自分はなんだか人間として、どこか足りない、いや芸術に対する感性が欠如しているのではないかなどと疑ってしまう。

 作品全体を舐めるように眺めてみても、何も頭の中に浮かんでこない。いつまで見たところで、いっこうに理解できずに、タダの変な絵とか物体で終わるのがおちなのだ。過去にマスコミの宣伝に踊らされて、その気になって期待して行ったのに、全然面白くなかったことがあって、それ以来現代アートには縁がない。と言うか、「ふ~ん」で終わるのだが、現在はネットでいくらでも試しに見ることができる。新聞の記事で「見る者を圧倒する」とか「固定概念を覆される」とかの最高の賛辞を受けてはいても、ネットで検索してサイトを覗いてみたら到底受け入れられないことも多々ある。なので、今は無理してわかろうとしなくていいかと軽く考えている。思えば、人には好みというものがあって、好きになれないものはどう頑張ったところで、好きにはなれっこない。自分の心に嘘はつけないし、またそうする必要もない。

 ゲストのCさんの手掛ける現代アートは、アナレンマ、ブロッケン、ミルクビズと呼ばれる3つの分野で、当方には全く効きなれないワードが並ぶ。試しにアナレンマを検索してみると、暗い夜空に流星が無数に散らばって光りながらうごめいている映像が写し出された。ちなみにこの光景を見た私の感想は「へえ~」の一言で、美しいだの、素晴らしいだのという心を鷲掴みにされると言う所まではいかないのだった。事実、Cさんも展覧会に来てくれるお客さんのほとんどは「ワア~ッ」とひとこと言うだけで、後が続かないのだと嘆いていた。とても残念な話だが、日本では現代アートに対する社会的な位置が低すぎるというか、まだまだ理解が足りないらしい。

 ところが、外国に行くとそんな悲しく理不尽な状況が一変するというから興味深い。日本では日陰の身の現代アートも、ひとたび外国の展覧会に作品を出品してみたら、思わぬほどの大反響があった。それ以来、世界のあちこちから仕事の依頼が引きも切らなくなった。想像もつかない話だが、世界では現代アートの展覧会には100万人規模の人々が訪れるのが普通だというから目から鱗だ。それだけ現代アートが大衆に受け入れられているという事実に眩暈さえ覚える。現代アートに注がれる熱視線も半端ないのだが、それと同時にそこは莫大なお金を生み出すビジネスの場でもある。海外では現代アートは日本とは違って、堂々と市民権を得ていることに違和感を感じずにはいられない。

 もうひとりのゲストのAさんは自然界に住む動物とコラボした作品を手掛けている人だった。たとえば、それはヤドカリで、彼に自分で作ったおうちを提供してそこに住んでもらうという発想だ。プラスティックのきらきらした模型や、自分の感性を駆使して作ったオブジェにヤドカリはすんなりと抵抗なく住んでくれるらしい。世のなかには なんとも面白いことを考える人がいるものだと感心を通り越して、びっくりした。現代アートは限りなく自由で発想は無限大、だからこそそれに共感する人は世界には大勢いるのだろう。

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部屋で暖かく過ごすために

今週のお題「防寒」

電気代がかからない方法を試行錯誤

 寒くなると一番頭を悩ますのは、室内でどうやって暖かく過ごすかということに尽きる。要するに、いかにお金をかけないで、風邪を引かない程度に快適に過ごすかに無い知恵を絞らなければならない。折も折、電気代がうなぎ上りで、月末に銀行の通帳を見たら、目の玉が飛び出るくらい驚いた。エアコンを使っていないのに、どうしてこんな天文学的な数字になるのか。これからの本格的な冬を想像したら、恐ろしくなった。いくらどんぶり勘定の無神経な私でも、心がチクリと痛みだし、遅ればせながらなんとかせねばと本気になった。外がいくら寒くても、自分がいる部屋だけは暖かくあればいいだなんて、勝手なことを思うのが人間だ。部屋でボタン雪が降るのを優雅に眺めて、暫し別世界に浸るのが大好きだ。だが、もはやそんな現実離れも甚だしいことを言っている場合ではない。

 本当は暖房はエアコンに頼るより、ガスストーブの方が格段に暖かい。その昔ガスストーブを使っていた時は、まるで南国にいるように感じた。だがその幸せも経済事情によって、敢え無く終わった。ガス代が半端なく高いので、ぬくぬくとその恩恵に浸っているわけにもいかなかった。その後、ガスよりも灯油の方が値段が安いので、ファンヒーターを購入して使っていた。まあまあ暖かいし、費用もあまりかからなくていいのだが、ただ灯油を買ってくるのがめんどくさい。仕方がないのでぶつぶつ言いながらも使っていたが、そのうち、当のファンヒーターの具合が悪くなって動かなくなった。新しいのに買い替えるのだが、私の使い方が悪いのか1年もしないうちに壊れてしまう。何回か買い替えていたのだが、すぐに壊れるので、もうや~めた!となってそれっきりお目にかかってはいない。

 では今は暖房に何を使っているかと言うと、省エネ仕様を謳っているエアコンで、ほとんど朝だけしか使っていない。冬は何と言っても一日のうちで朝の寒さがいちばんこたえる。日中はホットカーペットやこたつで何とかなるが、朝だけは部屋全体を温めなければ生きてはいられない。電気代は確かに気にはなるが、出費よりも寒さに耐える方がはるかに辛い。背に腹は代えられないのだ。その代わり、普段は涙ぐましいほどの努力をして、お金のかからない防寒を心がけている。例えば、部屋の中では防寒下着の上にタートルのフリースを着てモコモコのジャンバーまで着ている。そのジャンバーはユニクロのフリースフルジップジャケットで、本来は外で着るのだろうが、それを家で着ておうちジャンバーとしてきているだけのこと。

 下半身には裏起毛のスベスベでぬくぬくとしたフリースのズボンを穿き、さらにその上にはロングスカートという完全防備の服装で過ごしている。モコモコでまるで毛布のような肌触りのスカートは下半身を冷えから守ってくれるのでありがたい。それでもまだ上半身がスースーすると感じたら、袖なしのフリースのはんてんを着るようにしている。正直言って、これはもう相当に着ぶくれした状態で、”肉巻き状態”の人間のようだ。ロングスカートと言うと、昔何かの用でご近所のお宅に伺った時の光景を思い出す。玄関先で待っていたら、その家のご主人、長男とその子供が三人ともお揃いのロングスカートを穿いて現れたのだ。そのスカートが既製品ではなくて、毛糸で編まれている明らかに手作りだったので、余計に忘れられないのだ。

 いつも残念に思うのは大好きなこたつが勉強や何か集中する作業に向かないことだ。今こうしてブログを書いているが、こういった作業もすぐに眠くなってしまうので無理なのだ。それで、こたつが壊れたというか、もうだいぶ古くなったので使うのはやめて、現在ではホットカーペットを使うようになった。と言っても、今のところは電気のスイッチを入れなくても、分厚い毛布を膝にかけていれば十分暖かい。だが、そんな悠長なことを言っていられるのも今のうちで、12月も半ばを過ぎると、すっかり忘れていた寒さに震えあがり、躊躇することなくエアコンのスイッチを入れるのは目に見えている。

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冬は意外と汗をかく

今週のお題「防寒」

基本、家で洗える衣類で寒さに立ち向かう

 昨日、歯医者に行くついでに、(ちょうど通り道なので)ウール100%とカシミアのマフラー二つをクリーニングに出しに行った。マフラーを袋から取り出そうとしたら、店員さんにメンバーズカードの期限が切れていると指摘され、更新した。なんと1年近くも利用していなかったらしい。そう言えば、だいたいが冠婚葬祭で礼服を着る以外は基本的には家で洗える衣類しか着ていない。昨日のマフラー二つにしたって、本当はもっと早くクリーニングに出すべきなのに、横着をして放っぽらかして置いた。もう少しで12月だという今ごろになって、さすがにこのままではまずいことになる、つまり、いざ出番!という時に、使えない代物になり果てるのではないかと危機感を抱いたわけなのだ。そりゃ、今はまだ寒さはそれほどでもないが、12月に入れば、確実に季節は進んで、極寒の別世界に突入することは想像するに難くない。

 今までラクしてきた分、だからこそ、身体は敏感に反応する。テレビの天気予報では親切にも「今年も寒波がやってきますよ」と前もって予告してくれるのだが、いつだってすったもんだして、辛い思いをすることになる。突然の寒さに慣れるのにかなりの時間を要する。吐く息が白くなると、空気が張り詰めていると実感し、特に早朝は清々しいとさえ感じるから不思議なものだ。寒いのは大嫌いだが、その寒さのおかげで、怠け者の私は「寒さに負けるもんか!」と気合を入れられる。これと言って生きがいなどという立派なものなどないのに、急遽、この寒さに打ち勝つことが一つの確固たる生きがいというか、目標になり得るのだから面白い。

 だから、衣類には特に気を遣う。冬は重ね着が基本だが、本音を言うとあれはめんどくさ過ぎる。時間がかかるからそう何枚も着たくはないのだ。それでスーパーの衣類コーナーを捜し回ったあげくの果てに、”下着3枚分の温かさ”という能書きのラベルが付いた防寒下着を見つけた。ホットマジックという名前でグンゼというメーカーから出ていた。値段は2800円で下着としたら高めだが、役に立つのだから高くても構わないと考えた。実際に着てみると、能書き通り暖かいので、「買ってよかった!」と大満足だ。正直言って、最初はどんなものだろうかと、疑ってかかってはいたが、本当だとわかってからは3枚ほど買い足した。

 Tシャツの上にホットマジックを着て、ユニクロのタートルのフリースを着るのが習慣になった。以前はその上からさらにカーディガンを羽織って、コートを着ていたが、それだと汗をかいてしまうので、フリースの上からコートを着ることにした。けっこう暖かくて快適だが、身体を動かしたり、暖房が効いた室内ではやっぱり汗をかいてしまう。意外にも冬は汗をかくことが多いので、気軽にいつでも洗える素材の衣類を買うようにしている。コートも友達が持ってくれた時「どうしてこんなに軽いの」と驚くほど軽量のダウンコートで、洗濯機で洗えるタイプの物を着ている。他にはもう何年も前に紳士服の量販店で買った中綿の入った980円のコートも愛用していて、これが今でも現役で役に立っている。

 考えてみると、意図的に衣類をクリーニングに出さなくてもいいように暮らしているのだから、1年近くも店に行っていないのは当然だった。昨今は衣替えの季節にクリーニング屋の前に人々が列を作る光景を見なくなった気がする。近頃はコインランドリーも進化してきて、毛布はもちろん、羽毛布団でさえも洗えるようになった。”上質仕上げ”を謳う高級コインランドリーが静かに町なかに増殖中だ。一昔前はクリーニングに出すしかなかったこたつ布団も、今は家庭で洗えるものが主流になっている。実際私もビックカメラのポイントでこたつ布団を試しに買ってみたが、暖かくて軽くて、何より自分で洗えるのは有難い。

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カフェ難民だったあの頃

バカみたいに、居心地の良い場所を求めて彷徨った

 作家の津村記久子さんが「実家に住んでいた頃は、目をぎらぎらさせて、仕事をするための『居られる場所』を探していた」とエッセイに書いていた。現在では「自分はなぜ家にいたくなかったのだろうと思う」そうだが、とにかく狂おしいほどの情熱でもって悪戦苦闘していたらしい。私にも身に覚えがあるので分かるのだが、そう簡単には自分にとってのcozy corner(心地よい場所)は見つからない。良さそうにみえる店はたくさんあるのだが、いざ試しに入ってみると、お尻がむずむずしてとても長くはいられないのだ。店に入ると、まずは落ち着けそうな位置にある席を探して、座ってみる。ここなら大丈夫と思っていても、隣の席の人が気になったり、やたら人が通りすぎる場所だったりして、すごすごと退散することになる。

 端っこの席なら落ち着けると思ったら大間違いで、そこは空調の風がやたらと吹きまくっていて邪魔でしかない。そこでは夏も冬も冷たい風が吹いていて、私の身体はたちまち凍り付いてしまう。仕方がないので、席替えをするしかなくなり、こうなるとまったくソワソワして、「一体全体何をしに行ったのだ、お前は」と情けないことになる。だいたいは朝の空いている時間に店に行って、自分のお気に入りの席を確保しようと試行錯誤する。行く回数が多くなるにつれて、天井にある空調設備からの風がどちらの方向に当たるかがだんだんわかるようになってくる。そうやって、不快な風に邪魔されることなく、落ち着ける空間を手に入れたときの喜びは何物にも代えられない。

 ただ、悲しいことに私の幸せは永遠には続かなくて、その店が突然閉店してしまったりする。それからが大変で、次のカフェの新規開拓をしなければならない。こうなると、変な話だが、私の行動は本来の寛ぐという目的とは全くかけ離れたものになった。つまり、語学の勉強とか何かに熱中したいのに、それをするべき適当な場所が見つからないのでできなかった。当時の私の頭の中には、落ち着ける場所があってこその勉強で、安心して集中できる空間でなければ到底無理だという考えしかなかった。

 ある寒い冬の日に見つけたカフェには窓際にテーブルがあって、そこの席がとても良さそうにみえた。誰でも知っているカフェのチェーン店で、値段が高めなのか、いや値段はスタバと変わらないのだが、なぜか人はあまり入っていなかった。そのガラ~ンとした空間が気に入って、その頃流行っていたボトル持参で休みの日に通うようになった。席についてすぐはいいのだが、しばらくすると寒さを感じるようになった。側にはひざ掛けも用意されてはいるのだが、くしゃみも出だして寒さに耐えられなくて退散することになった。

 あの空間は大好きなのだが、問題は寒さで、どうにかできないだろうかと対策を考えた。そこでネット検索してみると、電気ひざ掛けというものがあることを知った。たしかカフェのテーブルの下にはコンセントがあったので、「これだ!」と勝手に盛り上がった。迷わずクリックして、優れものだと信じて疑わない電気ひざ掛けを手に入れた。休みの日にそのひざ掛け持参でルンルンでカフェに行き、早速ひざ掛けを使ってみた。もちろん最初のうちは暖かくて、大成功!とほくそ笑んでいたが、時間が経つにつれて、なんだか寒くなってきた、いや下半身のみならず、上半身も半端なく寒かった。全身が凍えそうに寒くて、じっとしていられないので敢え無く退散した。残念ながら、電気ひざ掛けのパワーは冬の寒さには通用しないようで、あれはホットカーペットのような存在だとわかったのだ。

 それ以来あのカフェには足が向かなくなり、まるでカフェ難民のようにどこかにあるであろう”温かいカフェ”を求めて彷徨うことになった。私が行かなくなってからしばらくして、あのカフェは閉店し、今では某有名牛丼店になっている。

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インフルエンザの予防接種

早く打たなきゃで、診療所が混雑して

 最近、あまり眠れていないのか、今朝はできればもう少し布団の中でまどろんでいたかった。だが非情にも、いつもの時間に目覚ましは鳴る。心は不本意でも、身体はそんなことにお構いなく自然と起き上がって、今日も一日頑張るぞ!となる。今朝の不調の原因は先週治療した右上の奥歯が痛み出したことだった。正確に言うと、神経を取ったはずの歯が今になって染みるようになり、その痛みが右側全体の歯に影響を及ぼし始めたらしい。布団の中にいても、歯茎が腫れているのを感じ、ジーンとした痛みが襲ってきた。でもズキズキではないので、眠れない痛みでは決してない。夜中にどうしたものだろうかと考えて、ぼんやりそのままにしていた。

 痛みが出たら鎮痛薬を飲むようにと、歯医者の先生からボルタレンを2錠貰った。歯医者の予約は明日なので、薬を飲んで済むのならそれに越したことはない。思えば、神経の治療というのは予想もつかないほどの時間がかかった。一度神経を取ったら、それでお終いということなどなくて、完全に取りきったと先生が思っていても、当の患者は敏感に感じるものだ。実際はほんの少しまだ残っていたり、あるいは、残っていなくても、落ち着くまでにある程度の時間が必要になる。どのくらいかかるかと言うと、私の場合は1カ月ほどで、その間週に一度歯医者に通い、消毒を繰り返した。もうこれで大丈夫と先生に太鼓判を押されるまでが、長かったが、それくらいしないと元の木阿で、二度手間になると言われた。早く治療して貰いたいが、神経はなにぶん繊細な組織なので、念には念を入れて対処しなければならない。

 そう言えば、昨日インフルエンザの予防注射をいつも行く診療所で打ってきた。普段と変わらずたいして腕に痛みは感じなかったが、果たして歯が痛み出したのと関係があるのだろうか。先生は神経を取った直後は麻酔が切れるので、もしかしたら痛みが出るかもしれないと言っていたが、こんなに時間が経ってから痛みが出るのはどう考えてもおかしい。テレビのニュースでは全国的にインフルエンザが流行しだしたと伝えていた。小学校では学級閉鎖が相次いでいるらしい。こうなると、専門家が言っていた「コロナとインフルの同時流行もあり得る」との発言が現実味を帯びてくる。以前にも言われていたが、まるで”オオカミが来る”みたいだと他人事のように思っていたら、本当にインフルが流行り出した。そうなると、皆思うことは同じで、”早く予防注射を打たなきゃ”なのだ。

 11時頃に診療所に行ったら、受付の前が今まで見たことがないくらい人で溢れていた。何も今日でなくてもと一瞬思ったが、左肩の痛みが辛くて駆け込んだ時も1時間くらいは待たされたので慣れていた。実を言うと、去年は10月にはもう早々とインフルを打っていたが、今年は10月にコロナワクチンを打っていたので、間隔を開けるために11月に打とうと決めていた。でも、さすがにこんなにも混雑しているとは予想だにしていなくて、面食らった。先日、情報番組で一日でコロナとインフルの同時接種をする人をカメラが追いかけていたのには仰天した。ある商社の集団接種で、女子社員の人が、まず右腕にインフルを打ち、そのあと別の場所に移動して左腕にコロナワクチンを打っていた。その女性へのインタビューで、「会社で、しかも同時にインフルとコロナの予防接種ができてよかった」と話していたのが印象に残っている。

 私の場合、インフルを打ってもらう時は処置室のベッドにずらりと私を含めて、3人が並んで先生の来るのを待っていた。先生はインフルの用紙にサインするだけで、実際に注射を打つのは看護師さんだった。毎年ここの診療所でインフルを打っているが、こんな込み合った状態は見たことがない。人は皆考えることは同じなのだと痛感した。

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ゴルフはなぜ人を魅了するのか

私にはゴルフ好きの心はさっぱり分からないが

 日経新聞の夕刊のコラム『明日への話題』でクレディセゾン会長の林野宏さんがゴルフの魅力について書いていた。「ゴルフはなぜ一流企業の社長までをも夢中にさせるのか?」と冒頭から始まり、「朝8時スタートのコンペに沢山の経営者が笑顔で集まる。そんな時間に役員会を開くと言ったら、トンデモナイというはずだ」と人を惹きつけずにはおかないゴルフの不思議さに言及していた。

 そう言えば、うちの兄二人もそんなゴルフの魅力に取りつかれた人たちだった。「だった」と過去形で言うのは二人共今はもうゴルフをしていないからで、長男は4年前に肺がんで亡くなり、次男は年金生活者となった今はもうゴルフはしていない。正確に言うと、30を過ぎて結婚して以来、ゴルフを封印したのだ。つまり、結婚生活の安定のためにフォルクスワーゲンの高級車とゴルフ道具を手放した。思えば、家に居た頃は花の独身生活を満喫していた。お金持ちでも何でもないのに、親戚が車関係の仕事をしていたおかげで外車が身近だった。カブトムシに似た形をしたビートルを手に入れ、何を思ったかゴルフ道具を買い込み、家でもパターの練習を熱心にするようになった。

 次男の部屋にあるミニ練習場で、私も一度ゴルフボールを穴に入れようとやってみたことがある。だが、まっすぐに動くはずのボールは思いもよらない方向に行ってしまう。何度やっても、自分の命令通りにはさっぱり動いてくれなくて往生した。その時、子どもながら私は思った、こんなにも思い通りにいかないのに、いったいゴルフの何が面白いのかと。長男も次男の様子を横目で見ながら、「ゴルフの何が面白いんだ。理解できない」と呆れていた。それなのに、それなのに、その長男も何年か経ってから、ゴルフが好きになってしまったのだから、人というものはわからない。義姉のミチコさんによると、ゴルフに行く日は兄が車で皆を迎えに行く役目を果たしていたらしい。

 次男に関して今でも忘れられないのは、クラブで素振りをしていてケガをしてしまったことだ。あの晩、いつものように会社から帰ってきて、家の猫の額ほどの庭で素振りの練習をしていた。ところが、ふと見ると次男の後頭部から血がしたたり落ちていた。信じられないことだが、自分の頭をクラブで叩いて?しまったらしい。ビールで一杯やってから素振りをしたせいで、手元が狂ったのだろうか。それからが大変だった。本人よりも周りの人間が慌てふためいた。長男は朝が早い仕事なのでもう寝ようと思っていたが、飛び起きて、次男を車に乗せて夜道をひた走った。田舎の村にある外科の医院は当然もう締まっていたが、ドラマによく出てくるシーンさながらにたたき起こして、診てもらうことができた。次男はしばらく頭にガーゼの白い帽子を被ったままで過ごすことになり、バツが悪そうな顔をしていたのを今でも覚えている。

 もう一つゴルフに関しては仰天したことがある。それはコロナ禍以前にカフェに通っていた頃の話で、偶然立ち聞きしたというか、盗み聞きというか、でも何も耳をそばだてなくても聞こえてしまうのだから、その空間に居る人は皆情報を共有していた。3人の高齢の女性がテーブルに座って雑談をしていた。見たところ、下世話な言い方をすれば、文字通りの”お婆さん”と呼ばれる人たちで、服装も高級そうでなく、たいして目立たたない普通の人たちだった。だが、彼らの話の内容が、ゴルフの女子選手のことで、3人のうちのひとりがほとんどおしゃべりの中心で、あとのふたりは聞き役だった。話の中に私のような門外漢でも名前を知っているような有名選手の話題が次々にでてきた。その時の私は、こんな高齢の女性たちがゴルフのことを熱心に話すなんて珍しいとしか思えなかった。

 だが、その「珍しい」はすぐに「まさか、信じられない」に変わった。なぜなら彼らはゴルフ場の予約とか、どのコースにするとか、いつもの場所で○○日にね、などと相談をし始めたからだ。おまけに「あんたは名義上は会社の専務になっていて、毎月お金が振り込まれるのよねえ」などというリアルな経済的側面にまで及んだ。どうやら皆それぞれ黙っていてもお金が入ってくるという幸運な立場の人たちのようだった。

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