以前、ポーランドの91歳になる名女優が主演する映画を見に行った。
確か、題名は「木漏れ日の家で」だったと思う。
老婦人が愛犬と夫が残してくれたお屋敷に住んでいて、彼女の目下の楽しみはのぞき見である。
自分の部屋の窓からご近所を観察し、興味津々で気をもんだりして、それが毎日の生きがいになっている。
けれども、最近、知らない男たちが大勢屋敷のなかをウロウロしているのだ。
息子が屋敷を勝手に売ろうとしているらしい。
おそらく嫁にそそのかされているのでは、と思うが、嫁はむしろ止めていたのだ。
息子に裏切られた、と思った彼女は死ぬことにした。
だがすぐに考え直し、「死ぬなんて冗談じゃないわ!」と強く生きる決心をする。
そして、息子にみんながびっくりするような ”復讐” をするのだ。
彼女の復讐とは、近所にある音楽学校に自分の屋敷を寄付することだった。
その音楽学校は若い夫婦が経営しているのだが、最近彼らが何度も困ったように話し込んでいるのをのぞき見していたのだ。
彼らが生徒の指導に情熱を注いでいることをよく知っていたし、学校の経営がうまくいっていないこともわかっていた。
彼女は自分の息子よりも他人に財産を寄付することを決断した。
そこで、寄付で思い出した本がある。
本の題名は忘れたが、「自分の収入からある一定の額を毎月必ず寄付している人々」
が世界には少なからず、確実に存在しているらしいのだ。
それも決してお金持ちとは言えない普通の人々なのだそうだ。
私たち日本人にとっては、寄付という言葉は身近にはない言葉だが、世界では子供のころから当然と考えて身についている方々も多いと思う。
毎月一定の額を寄付すると決めている人には共通点があって、彼らは常にモチベーションを高く持ち、収入は増えていく傾向にあるというのだ。
しかも、自分の寄付する額を少しでも増やそうとして、節約に励もうとまでする人々
すら存在するらしい。
彼らの行動の根底にあるのは、「世界にいる困っている人に、手を差し伸べるのは自然な行為であり、義務なのだ」というゆるぎない信念なのだと思う。
私たちは自分の欲望を満たすことや、自分の生活で精いっぱいなのだ。
寄付などということはお金のある人に任せようと、正直思っている。
だから、寄付というと、どうしてもお金ではなく、自分の持っているもので間に合わせようとする傾向がある。
つまり、自分のいらないものを寄付して善行をしようとするのだ。
だが、寄付はお金が一番届きやすいそうである。
私もこれからは寄付に対する認識を変えようと思っている。
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