人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

「家ついて行っていいですか」と聞いたら

NGな人が多いのに驚愕

 テレビ番組の「家ついて行っていいですか」を帰省した実家で見た。この番組に出てくれる人は皆いい人で、優しいひとばかりだと、芸人の清水ミチコさんも新聞に連載されているエッセイの中に書いていた。そりゃそうだ、インタビューされるだけかと思ったら、いきなり「家ついて行っていいですか」と切り出されるのだから、面食らうのも無理はない。当人の頭の中には、自分の家のイメージが浮かび上がり、あんなんでいいのだろうか、とか、いややっぱりやめておこうか、などという相反する思いが交錯する。でも、目の前の人に悪いなあと思う人も少なからずいるはずだ。自分だけのことを考えれば、ダメと言えばいいのだが、それは本心ではしたくない。そう考える心の余裕のある人が、取材をOKするのだろう。それに、「いいですよ」と言ってくれる人は決まって皆飛び切り面白い人生を生きている人なのだ。その人の話を聞いていると、うわべだけのヘタなドラマよりも見る価値が、いや、聞く価値があるといつも思う。

 大体が彼らは人に対してオープンな姿勢で生きていて、他人を拒絶しようとはしない。やたら目立ちたがりというわけでもないのに、人がいいから、断ると言うことができないのかもしれない。テレビに映りたい人は大勢いるようだが、私には彼らの心境は到底理解できない。そう、私はどちらかと言うと、目立たず、ひっそりと生きたいタイプだから。テレビの街頭インタビューだなんて、避けて通りたいから、真っ先に逃げる。「家ついて行っていいですか」では皆インタビューには気楽に答えてくれる。でも質問が核心に迫ると、彼らの態度は急変し、自分の家を見せるだなんてとんでもないと拒絶するのだ。

 年末年始に放送された「家ついて行っていいですか」では、この番組の裏側にスポットを当てていて、とても興味深かった。いつも放送されているから、きっと容易に取材に応じてくれるのだろうなどと思ったらとんでもない。なんと5人のスタッフがあちらこちらの場所で、道行く人に声をかけて、インタビューし、その数145人だと言うから椅子から転げ落ちそうになった。取材に協力してくれる人を見つけるのは至難の業だと想像できた。その中には、毎回と言うか、正確にはインタビューを受けるのは8回目という中年の女性もいた。テレビの画面でその人は堂々と、「そう、8回目よ」と宣っていたのには、困惑せざるを得ない。スタッフが「今回も、家ついて行ってはダメですか」と尋ねると、「それはダメ」と愛想も何もない。

 そりゃ、取材を受けるのは個人の自由で他人がとやかく言うことではないが、少しはスタッフへの同情という歩み寄りもあってもいいのではないか。そう思うのは私だけだろうか。あんなに堂々とテレビに出ながら、自分の家だけは見せたくないと言うその心理が理解できない。それとも、自分の家は他人に見せられないほど、メチャクチャで崩壊しているのだろうか、などとあらぬ想像をしたくもなる。それでも、その人はなぜか、インタビューには気安く応じてくれ、まるでスタッフをからかっているかのようにも見えた。いやはや、強心臓としか思えない強者とお見受けした。あんな人も世の中にはいるんだと、改めて、人間は面白いと実感した。

 今回の番組に登場したのは仕事帰りだという50代の男性だった。以前は飲食店を経営していたが、今はテレホンセンターでアルバイトをしているその人は、奥さんを病気で失くして、今は一人暮らしだった。結婚した時はすでに癌だとわかっていて、そう長くは生きられないと分かっていた。それでも結婚したのは、奥さんが明るくて、一緒にいると楽しい人だったからだ。約10年間の結婚生活だったが、自分の決断に後悔はないと言う。現在は自分の趣味のバンドをやったり、昔よく店でお客さんが話していたエピソードを小説に書いたりして、楽しく毎日を送っている。とにかく、その人の話には「楽しく」が満載で、人生を謳歌している満足感で満ち溢れていた。

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