人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

最近、孤独を感じますか?

人はみんな孤独である、まあ、基本的にはそうだが・・・

 先日の朝日新聞の土曜版に載っていたアンケートのテーマは「最近、孤独を感じますか?」だった。「はい」と答えた人が31%と私の予想よりもはるかに少なかったのには正直驚いた。残りの69%は孤独のこの字も感じていないということか。世のなかの人は皆楽天的な性格なのだろうかと首をかしげてしまうのは私だけだろうか。ふとしたことで、「なんだか寂しいなあ」と感じてしまうのは人として自然な事だと思っていたから。寂しい対象が人だったり、物だったりすることはよくあって、でもそれは安っぽいノスタルジーなのかもしれない。寂しいと感じたりするのは、背後に何かの不安要素があるからで、それは時として根拠のない場合が多いのだが、そんなときは自問する。どうして今はそう思うのか、いったい何が原因なのか、突き詰めて考えると、くっきりと問題点が浮かび上がってくる。ただ、頭で考えるのではなくて、紙に書きだしてみると効果的なのは、ある心理カウンセラーのアドバイスを参考にしたからだ。

 不安の要因を見つけ出したら、それを取り除くのに精一杯の努力をしてみる。もちろん、自分でどうすることもできないこともあるが、原因がわかっているだけましである。何の根拠もない漠然とした不安については、常に自分を何かに熱中させておく、あるいは、物事の明るい面を見るようにすることで、何とか大火事にならないように済ませられる。生来暗い性格の私は、自分の身近にいる楽天家の人の心の動きを見るにつけ、驚かされることがよくある。彼女は、私が気になって仕方がないことが、まったく気にならないので、共感してもらおうと期待してがっかりすることもあった。だが、よく考えてみると、その鈍感力はいろいろな人と付き合うのに不可欠なものなのだ。

 例えば、実家の義姉のミチコさんは5月に白内障の手術をした。眼科の先生になにかご要望はありますか、と聞かれて、「車を運転するので、遠くがよく見えるように」と即答した。その一点だけを強調したせいか、手術後、家に帰ってきて新聞を読もうとしたら、手元が見にくかった。記事の文字がぼやけて読めない。折も折、近所の人と井戸端会議をしていたら、「私は遠くも近くも両方とも見えるようにして貰ったの」などと宣う輩がいた。「それなのに、どうして私はこんなことに・・・」と私なら、絶対に「早く言ってよ、先生!」とか、内心で「騙されたんだ!」とか思ってしまうに違いない。でもミチコさんは違うのだ。「メガネでも作らなきゃ、不便でしょうがないでしょう」と促すと、その後電話したら「ダンナのメガネがあったからそれで間に合っている」との返事が返ってきた。

 「先生にまた手術してもらわなきゃ」と説得したところで、「もういいから」と気にもしない。本人が「騙された」などと露ほども思っていないのだから、こちらも口を挟めない。これが、自他ともに認める”都合のいい女”の思考法で、きわめて緩くて、厳しさに欠けるのだ。

 それはさておき、孤独と言えば、最近気になることがあった。それは孤独をできるだけ回避しようと懸命に努力している人たちがいることを知ったからだ。特にスマホで24間常に家族とか、特定の誰かと繋がっている状態を維持しようとしている人たちだ。70代の知人の女性は「私もう、面倒臭くて、嫌なのよ、本当は・・・」と悲鳴をあげている。話を聞いて、ギョッとした、毎日強制的にさせられるタスクが多いことに。昔の職場で仲良くなった人達3人とラインをしているのだが、なんと朝は、「おはよう」と返し、夜は「お休み」で締めくくるのを義務付けされていた。いわば、それば「元気です」という”生存確認”に相当するようで、ある日嫌になって放っぽっておいたら、皆から「大丈夫?」と電話が来てすごく心配される始末。

 さらに息子さん家族からはお嫁さんや孫からそれぞれ、動画やメッセージが届くので、一々返事をしなければならない。本音では少し放って置いて欲しいのだが、そうもいかないのが悩みの種なのだという。「ああ、うるさい、ひとりを満喫しているのに、これじゃ常に邪魔されているみたいで地獄」と愚痴っている。

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