人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

電子レンジが壊れた

今週のお題「最近壊した・壊れたもの」

大変だ、と思ったが、未だに買っていない

 家の電子レンジが壊れた。壊れて初めて、裏側に表示されている製造年月日を見た。2013年と書かれていたので、かれこれ10年余りもお世話になっていたと気付いた。電子レンジにはなんの不調の前触れもなかったのにもかかわらず、温めのボタンを押しても、うんともすんとも言わなかった。当たり前である、何かが壊れる時は、いつだって”突然”なのだ。でも、なぜその”突然”が今なのかはわからず、電子レンジの扉を何度も何度も開け閉めしてみるが、悲しいかな、反応はない。こんな時は諦めが肝心なのに、諦めたくはない。でも、電子レンジが動いてはくれないという、厳然たる事実はどうしようもない。

 ちょうど、コンビニで買って来た、冷凍の鶏モモのから揚げを500Wで1分30秒加熱しようとしていた時だったが、泣く泣く冷凍庫にしまうはめになった。さて、それはさておき、これからどうしよう、果たして、これから先電子レンジの助けなしでやっていけるだろうかと思案した。考えてみると、昨今は電子レンジを使った時短レシピが大流行りで、私もその恩恵に浴していたひとりだった。野菜炒めひとつにしたって、固い玉ねぎやキャベツが一瞬で柔らかくなる魔法のような機能を、どうして無視できるだろうか。否である。それどころか、積極的に利用するのが賢いやり方だし、また利用しないなどと言ったら、それは宝の持ち腐れだ。家にあるものは、最大限に利用するのがベストとの考えから、やたらと使っていた記憶がある。

 実を言うと、私は以前はそんなに電子レンジに頼っていたわけではなかった。周りの皆が、「電子レンジでチンすればいいのよ」と言っていた頃、そんな常套句をそばで聞いていた私自身は、”チンする”という行為とは無縁だった。例えば、スーパーで買って来た、コロッケや魚のフライにしたって、そのまま食べるのが好きで、皆が何でもかんでもチンして食べようとする気持ちがわからなかった。フライなどは温めると、変に油が出てきて、フニャッとなってしまうのが嫌だったのだ。そんなわけだから、何かを温めて食べるという習慣がなかった私には電子レンジは不可欠なものではなかった。

 電子レンジが壊れて、復活したのが、これまた以前よくやっていた、”ほったらかし料理”で、フライパンに野菜やら肉やらを入れて、弱火でそのまま放っぽっておくだけでよかった。電子レンジと比べると、確かにスピード感はないが、その代わり、野菜本来の甘味が味わえて美味しいと感じる。時短レシピにはなかった、玉ねぎやキャベツの甘味を久々に味合うと物凄く新鮮に感じた。それに、電子レンジに代わるものとして、ガス台についているグリルもあるので、スーパーで買って来たピザを焼くこともできる。電子レンジの存在を頭から追い払って生活すれば、何の問題もないわけだが、ときどき身体が無意識に動いてしまって、電子レンジの扉を開けそうになったこともある。そんなときは、やっぱり電子レンジがあった方がいいかなあと一瞬思ってしまう。誰かが言っていたが、”あったらいいなあ”  はズバリ、”無くてもいいこと”と同じ意味を持つのだそうだ。

 電子レンジが壊れてから、はや2,3カ月ほど経っただろうか。もはや使い物にならなくて、忘れられた存在になった電子レンジは以前として目の前にあるが、今ではあまり気にならなくなった。それに、わざわざ新しいのを買いに行こうとする気にもなれない。いや、それよりも電子レンジがない暮らしにだんだんと慣れつつあるのも確かなのだ。今では、急いでいる時は少々不便だが、まあ、無くてもいいかと思えるようになった。そう思えるようになったのは、ある出来事が発端だった。

 それは給料日に銀行にお金をおろしに行って、何気なく通帳を見たとき、あれ~?と不思議に思ったからだった。なんと、信じられないことに、電気代がいつもの月よりも千円以上も安くなっていた。どう考えてもおかしい、節電と言えるようなことは何もしていなかった。思い当たることと言ったら、電子レンジが壊れて使っていないことぐらいのものだ。それで、納得した、電子レンジを使わないとこんなにも電気代が安くなるということに。いやはや、そんな簡単なことで、電気代が安くなるなんて、嬉しい限りだ。でも、テレビでいつも聞かされていることと言ったら、ご飯は保温するよりも、冷凍して、その都度チンする方が電気代が安くなるということなのだが。

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