人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

引っ越し騒動

昔は引っ越しが好き、だが、今はとんでもない!

 昨晩、もう寝ようかとなって、布団に入ろうとしたら、夕刊に目を通していないことに気が付いた。どれどれと、朝日新聞の夕刊を開いた。すると、千早茜さんの『とりあえず、茶を』のエッセイが目に入ったので、一気に読んだ。内容は引っ越しの話で、まあ、何のことはない他人の引っ越しの話なのだから、たいして興味も湧かないなあ、などと思ったら、とんでもない。最初から、ハプニングの連続で、他人事のせいか、思わず、破顔してしまった。なぜなら、余裕の引っ越しのはずが、あろうことか、汗みどろの引っ越しになったからだ。

 それというのも、引っ越し業者に梱包パックというのをお願いしたにも関わらず、営業が見積もりを間違えていたせいだった。千早さんは「何もしなくてもいいですよ。指示だけして下さったら、前日までいつも通りの生活を送ってください」と言われて、大船に乗ったつもりでいた。ところが、当日になって、「間に合いません」と泣きつかれた。他人事ながら、千早さんが置かれた状況を想像すると、崖から突き落とされたような気分になる。それはないでしょう!?と怒りたくもなるが、そんな場合ではない。さっさと、なんでもいいから、とにかく片っ端から目の前にある物を段ボールに放り込まなければならない。今いる部屋を空にし、新しい場所にそっくり移動するのが、引っ越しなのだから。

 千早さんは、結局、朝から夕方まで、それこそ汗みどろになって梱包作業に必死で取り組んだ。『必死で詰めたので指示も出せず』と書いているように、最初思い描いていた、お屋敷の女主人が優雅に使用人に支持を出すだけで、事が終わるような光景には程遠かった。当方も、梱包パックというのは聞いたことがあるが、そんなに楽なものなのかと期待したら、何のことはない、がっかりである。そして、千早さんが注目したのは引っ越し業者に言われた、『いつも通りの生活』というフレーズで、それこそ千早さんが何よりも大切にしているものだった。だが、そんな切なる願いも、予想外のトラブルによって叶えられなかった。変化のない日常を愛する千早さんが、これなら絶対大丈夫、脅かされることがないだろうと確信していたのに、ハプニングは起こった。その点において、今回の引っ越しは災難レベルに相当するし、引っ越しは苦行でしかない。

 どこに何が入っているかもわからない80以上の段ボールの山に囲まれ、呆然自失する。だが、仕事はしなければならない。それに、こんな時は、いやこんな時だからこそ、茶が何より飲みたい。なので、段ボールの山から、何とか茶器を発掘し、茶を味わって初めて、”いつも通りの生活”が戻ったと感じた。それが、段ボールのジャングルの片隅であっても、自分の居場所と言えるのだと書いていた。 それにしても、梱包バックというサービスは実際に頼んでみたら、どうなのだろう。ましてや、想像するに千早さんの荷物は相当な量に及ぶと思うのだが、果たして宣伝文句の通り、ラクチンなのだろうか。いつも通りの生活をしている自宅に、何人か人がやってきて、こちらの指示通りに荷物を手際よく段ボールに詰めてくれる。あっと言う間に詰め終わり、部屋はまるで魔法のごとく空になる、というのが理想だが、そんなにうまくいくものなのか。

 考えてみると、若い頃の私は、引っ越しが大好きで、気分を変えたいときは躊躇なく住まいを変えていた。だが、年を取るにつれて、引っ越しがそう簡単なものではないと思い知ることになる。例えば、電気、ガス、水道、ネットなどの申し込みに天文学的に膨大な時間を必要とするからだ。昔は電話1本で済んでいたことが、いまではその電話すらなかなか繋がらない。生活に不可欠な電気、ガス、水道の申し込みに丸一日を要することも珍しくない。電話が繋がったとしても、おとなしく待つことを強いられて、正直言ってめんどくさい。なので、気軽に引越したいなどとは言えないし、また実行に移すだなんてことはできない雰囲気なのだ。

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