人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

レイ・ブラッドベリの「華氏451度」

今週のお題「下書き供養」

 下書きと言ってもそれは、ブログの下書き機能でもなく、WORDの保存機能を使ったものでもない、B5のノートに書き散らかした言葉のカケラたち。パソコンの前では文を作らなきゃと緊張してしまうのですが、紙なら気楽に書けるのです。書き始めてみたものの、果たして最後まで書けるのだろうかと不安な気持ちになるのです、いつだって。でもメモとしてなら、例えばこんな風に書けます。

 もう何年も前に新聞の「読書日記」で俳人の小津夜景がレイ・ブラッドベリの「華氏451度」について書いていた。ニースに住み、海岸を散歩するのを日課とする彼女はある午後一人の老人と出会う。その老人が言うのには、海辺を詩を暗唱しながら歩く彼女の姿は、まるで映画「華氏451度」のラストシーンのようなのだとか。この時この小説に興味津々だったのにもかかわらず、読んでみようとは思わなかった。それはたぶん本のタイトルに拒否反応を起こしたに違いない。自分はSF小説には馴染めないと決めつけていたからだ。でも高校の時は友達が貸してくれた「デューン砂の惑星」に夢中になったこともある。もう忘れていた頃に日経の名作コンシェルジェというコラムで再びこの小説と出会った。本を読むことを禁じられた未来の物語だそうで、レイ・ブラッドベリの代表傑作だ。そして特筆すべきはこの小説は1953年に書かれているのに、今読んでも全然古びていない、というより斬新だと言っても過言ではないというのだ。それと同名のフランスのトリフォー監督の映画のラストシーンは原作とは違っているという。

 

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▲ふと思い立って近所の本屋に行ったら偶然見つけて、「華氏451度」を迷うことなく買ってみた。最初ページを捲って読み始めて、何が何だかわからない設定、つまり奇怪な装置の名前とか本を焼く職業が昇火士と呼ばれていることに困惑した。でも忍耐強く読んでいたら、作者が何を言いたいのかわかって面白くなってきたのです。ちなみに華氏451度、この温度で書物は引火し、そして燃えると書かれています。

本を焼きたい理由がわかって恐ろしさに身震いして

 先の下書きともいえないようなメモに貼り付けられていたのは、去年の7月10日の天声人語の切り抜きでした。そこには「書物を焼き払う焚書というのは独裁政治と縁が深い」と書かれている。ナチスドイツも多くの本を灰にしたが、ここでは『二人のロッテ』や『飛ぶ教室』の著者ケストナーについて言及されている。当時多くの著者の夥しい数の本が、ドイツの精神に反するとして図書館から集められた。焚書の現場に彼は足を運び、その現場を目の当たりにしたというのです。なぜこんな話題をと思ったら、ちょうど香港の公立図書館で、民主活動家の著書の閲覧や貸し出しが停止されたのです。反体制的な言動を取りしまる新法の影響です。ここで、本の世界からたちまち現実に引き戻されてしまいました。対岸の火事と思ってはいけないのですが、そんな認識しかない私にこの小説は重い教訓をあたえてくれました。

 「華氏451度」の主人公モンタークは通報された本を隠している家に行って、本だけでなく家共々焼き払うのが仕事です。でも実は彼自身は自宅のベッドに数冊の本を隠し持っているのです。職業とはいえ当然彼の中ではものすごい葛藤があって、いつか本心が露見してしまうのではと悪夢にうなされる毎日を送っています。そしてやがてその運命の日が来てしまうのです。どれだけ悲惨なことになるのか読み進めるのが怖いとさえ思ったのですが、意外なことに未来に希望を感じさせるような終わり方でした。ディストピア小説というジャンルに分類されるわりには、読後感は春の日差しのようでした。

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