人生は旅

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学校の制服、これって必要?

小学生の斬新な意見に目から鱗

 先日の朝日新聞の朝刊に、学校の様々な決まり事や約束ごとについての小学生の意見が載っていた。どれどれと、何気なく読んでみると、こんな考え方もあったのかと感心するやら、それはないんじゃないかなあと批判的になったりと、とても考えさせられた。そんな忌憚のない意見を躊躇なく述べてくれたのは箕面市立豊川南小学校の生徒さんで、例えば、6年の小西輝太さんは「私服ならわかり合える」と主張していた。彼は中学校は私服の方が断然いいと言い、その理由として、私服にはその子の個性がにじみ出るものだから、好きなものが同じとわかれば、仲良くなりやすいことをあげている。要するに、私服は知らないもの同士が打ち解けるのを助けるために潤滑油の役割を果たす、とでも言いたいのだろうか。確かに、彼の言う通り、同じ制服を着ていたら、見かけではその人がどんな人かなんてわからない。なので、最初は勇気を出して、話し掛けて、相手がどんなことを考え、何に興味を持っているかを少しずつ時間をかけて探っていくことになる。

 小西さんは、「スポーツのレプリカユニホームなら、このスポーツが好きなんだなあと想像がつくし、ひいきのスポーツもわかります」と具体例を挙げて、自分がどうしてそういう意見に至ったかを説明していた。また、服装には個性が出るものであり、自分に合った服を自分で決められる自由は、学校で決められている制服では得られないとも言っている。

 だが、その一方で、小学校でも制服がいいという意見を出したのは、同じ6年の山田美結さんだ。彼女はなぜ、中学校や高校のように、小学校には制服が無いところが多いのかと不満に思っているようだ。その理由のひとつは、朝服を選ぶのに迷ってしまって、時間がかかると言うことだ。そのせいで、学校に遅刻してしまったこともあると言うから深刻だ。なので、忙しい朝に何も考える必要がない制服の方がいいと言う考えなのだ。また、もしも制服が可愛い、とかカッコいいとかと思えるようなものだったなら、学校へ行くのが自然と楽しくなって、「ワクワクする毎日になるだろう」と想像していた。

 確かに、昔は私の周りでも、高校を制服で選んだ?友達もいたようで、当時は到底その気持ちを理解できなかったが、いまならわかる気がする。毎日自分のお気に入りの制服を身に着けて通学するだけで、きっと幸せを味合うことができたのだろう。たとえ、朝嫌なことがあったとしても、一瞬にして気をそらすことができたに違いない。残念ながら、私はお気に入りの制服には出会うことはなかったが、会社の後輩たちの話を聞くと自由でいいなあと思ったことがある。彼女たちの話によると、もちろん、私立の高校にはちゃんとした制服があるが、公立の高校にも制服が無いところもあったそうだ。

 私服で、何を着て行ってもいいのだが、そうなると、人はおかしなことに戸惑ってしまうというのだ。つまり、毎日毎日、何を着て行こうかと考えるのがさぞかし楽しいだろうと思ったら、実際は面倒臭くなったというから、はて、どういうこと?と疑問がふつふつと湧いてきた。それで、どうしたかと言うと、そんな人達のためにちゃんといい店があって、そこで、可愛いい制服もどきともいうべき服を調達したのだ。感じの良いブレザーとスカートが店内に所狭しと並んでいて、何処から見ても、ちゃんとした立派な制服で、堂々と電車に乗れた。胸元につけるりぼんだって、色も柄もたくさんあって、その日の気分で自由に換えられた。特に女子は新学期が終わる頃には、クラスの大半が、制服もどきのスタイルになった。こうなると、自分で選んだ制服の方が、私服よりも、使い勝手がいいという、なんとも信じられないような状況になっていた。

 後輩の話によると、制服の方が選ぶための心の葛藤と手間がかからず、面倒臭くなくて楽でいいらしい。傍から見ると、何を着て行ってもいい、私服なのにも関わらず、どうしてわざわざ制服もどきを用意するのかと不思議でならないのだが。それとも、やはり心の何処かに制服への憧れが少なからずあるのだろうか。

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