人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

強風の日に起こったこと

茶碗の破片が宙を舞う光景が、目の前に

 最近風が強い日が多いなあ、とは思っていた。でも風が強いくらい、何なのとも思っていた。風が強いくらい、たいしたことないじゃないと簡単に考えていた。そりゃあ、強風の日に道を歩いていて、たいして細くもない私でも、飛ばされそうになって、思わず身体をくの字におりまげ、やっとのことで体勢を維持しなければならないこともある。舗道に放置してある自転車がバタバタと倒れることもあったし、飲食店の看板があれよあれよという間に吹き飛ばされるのを見たこともある。でもそれは別に自分にとって、どうでもいいことで、身の危険を感じる事でもなかった。たまに砂ぼこりが降ってくることもあったが、まあそれも仕方ないことだと気にもしなかった。

 だがその日は少し状況が違っていた。その日も風が強い日で、私は早朝に2階のベランダで洗濯物を干していた。正確に言うと、ハンガーにかけた洗濯物を竿にかけようとしていた。だが、突然強い風が吹いてきて、私の身体はよろめき、かけようとしていた洗濯物もハンガーから外れて下に落ちてしまった。信じられない出来事に驚き、絶句していると、何かがコロコロと転がる音がした。その後にガシャーンという、どこかで聞いたことがある音がした。おそらく、あれは何か瀬戸物が割れる音だった。そう、あれは不注意で茶碗を割ってしまった時の音に間違いなかった。思わず、その音がする方向に目をやると、何か細かい粒のようなものが宙に舞い上がっているのが見えた。でもそれは一瞬のことで、すぐにその光景は目の前から消えた。

 先ほどのあの光景はいったい何だったのだろう。好奇心を抑えられない私はすぐにお表に飛び出し見に行った。家の庭のすぐ前にある道路には、思った通り、瀬戸物の破片が飛び散っていた。そこには金色に光るお玉も転がっていたので、誰かが間違って茶碗とお玉を落としたせいで、風が強いためにそれが転がるだけでなく、砕けて、風に舞い上がったのだとも考えられた。だが、あの時誰もいなかったはずなので、そういった状況は考えにくい。となると、あの茶碗とお玉はいったいどこから来たのだろうか。

 よく考えてみると、あの日はたしか燃えないゴミの日だったはず。なので、前日の夜遅くかあるいは当日の朝早く誰かが、例えば、レジ袋にもう使わなくなったお玉と茶碗を入れて、口を縛りもせずに収集場所に置いたと仮定しよう。そんな状況でそこへ滅多にない強風が吹き荒れたとしたら、私が目撃したような光景は十分起こりうる。ゴミを捨てた当人にはもちろん悪気はないのは確かだが、一つ間違えば、瀬戸物は凶器になってしまう。もしもあの時あの場に誰か人がいたら、あるいは、もし、それがほかならぬ自分だったらと思うと恐ろしさに震え上がった。なんの変哲もない、飽き飽きしている日常が、あって当たり前のものが、一瞬にして手が届かい有難いものになってしまうのだから。

 もしそんな場面に遭遇したら、一番先に守らなければならないのは目だと思う。いや何より、大事なのは自分が今いる場所の周りに何か異変がないかどうか気を配ることだろう。ぼうっとして寝ぼけ眼で歩いているなんて、一番やってはいけないことなのだ。今回の場合は「コロコロ」という音で、それにはカチャカチャという音も混じっていた。となれば、すぐに何か、ガラスか瀬戸物等の割れ物だと察しが付くので、それが割れた場合のことを想像してみるべきだろう。今回の出来事で意外なところに危険が隠れていることを思い知らされて、とてもいい教訓になった。だが、痛い目に合ってない私はきっとすぐにあの日のことを忘れるだろう。人は都合が悪いことは記憶からさっさと消去する傾向があり、私は特にそれが顕著な性格だ。それでも、普段から街中を歩くときは常に周りの音に耳をそばだてているつもりだ。なので、イヤホンを付けて音楽かなんかを聴きながら歩いている人がいることが到底理解できない。

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